地震多発地帯・北関東の地震活動(島村英紀さん講演)


 
※編集者注:当記事は島村英紀さん講演のレジュメです。レジュメの文中の用語(地震等)に対しては、地震がよくわかる会で作成した記事一覧及び関連記事へのリンクも付加しました。ただし、このリンクは島村さんの確認をとったものではありませんので、あらかじめご了承ください。


 年に 50 回以上も地震(有感地震=人間が感じる地震)を感じているところが日本に3ヶ所ある。そのひとつが、茨城県南西部から千葉県北部にかけての地域だ。
 ここに地震が多いことは江戸時代以前から知られていた。当時は、ナマズが地震に関係があると広く信じられていた。ナマズは地震を予知するだけではなくて、地震を起こす元凶だとも考えられていたのである。
 このため、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮と千葉県香取市の香取神宮にそれぞれ「要石(かなめいし)」という石が埋まっていて、これが地下のナマズを押さえているといわれている。
 要石そのものは、地上には十数センチしか出ておらず、見える直径も 40 センチほどの小さなものだが、地下深くまで達している「霊石」である。
 古墳の発掘をしたことでも知られる水戸黄門(徳川光圀)は好奇心が強かったのであろう、要石のまわりを掘らせてみたが、夜に作業を中断すると、掘ったはずの穴が朝には埋まっていた日が続いた。このため昼夜兼行で7日7晩掘り続けたが、ついに石の底には達しなかったという。 17 世紀のことだ。

 なお、年に 50 回以上も有感地震を感じている残りの二つは釧路から根室にかけての北海道の太平洋岸と和歌山市周辺の狭い地域である。
 釧路から根室にかけての太平洋岸は、千島海溝という世界でもっとも地震活動がさかんな海溝に面しているから地震が多い。ここでは太平洋プレートが北米プレートと衝突して北海道の地下に潜り込んでいっている。千島海溝と日本海溝はひとつながりの海溝だから、首都圏から北の東日本は同じ構図だ。
 もうひとつは和歌山市の周辺の狭い地域だ。ここは大地震が起きたことはないが、小さい直下型地震がよく起きる。このため東京帝大(いまの東大)の地震学者だった今村明恒が 1928 年に私財を投じて地震観測所を作った。この観測所は東大地震研究所が引き継いで研究を続けている。だが、なぜここに地震が集中するのか、いまだに分かっていない。
 一方、有感地震が少ない方では、札幌や福岡では年に5回も感じない。つまり多いところと少ないところは 10 倍以上も違う。なお、札幌では 2018 年9月からは、北海道胆振東部地震とその余震を感じるようになって、そのために増えている。
 日本全体で見ると、大地震の余震を除けば、少ないところでは年2、3回しか有感地震がない。北海道の北部や西部、中国地方の日本海側、それに徳島県から瀬戸内海を横切って北九州へかけての地方といったところだ。首都圏は、もちろん多い方だ。
 この「不公平」は、日本列島の地下に4つもあるプレートのせいだ。衝突している場所の近辺では地震が多い。

 4つという多くのプレートが衝突しているところは世界でも珍しい。首都圏に住む人々は日本有数、いや世界有数の地震多発地帯の上に住んでいることになる。
 首都圏の地下はプレートが3つ(太平洋プレート、北米プレート、フィリピン海プレート)も入りこんで衝突しているところだから地震が多い。
 事柄を複雑にしているのは、世界のほかの地震国では一つのプレートの下に、別のプレートが潜り込んでいることで起きているのに、首都圏では、一つのプレートの下に、別のプレートが二つも潜り込んでいることで起きている。なかでも茨城や千葉は、地下で歪みが溜まりやすいところなのである。
 ここでは東から太平洋プレートが潜り込んで、その上面は茨城県の下では深さ 70 〜 90 キロほどのところを通っている。その上、つまり人々が住んでいる北米プレートとの間に、南からフィリピン海プレートが潜り込んでいて、その先端近くにあるのが茨城県なのである。
 プレートの動きは止まることはなく、太平洋プレートは年に約8センチ、フィリピン海プレートは約 4.5 センチの速さで日本列島に向かって動き続けている。
 このプレートの動きによって、岩が我慢できる限界を超えると起きるのが地震、そしてプレートが約 100 キロメートルのところまで潜り込んだところでマグマが作られ、それが上がってきて起こすのが火山噴火だ。地震はプレートの動きの直接、火山は間接的な反映になる。

 日本に起きる地震には二種類ある。「海溝型地震」と「内陸直下型地震」である。それぞれ別のメカニズムで起きる。
 このうち、海溝型地震は主として、日本の沖合に起きる。一昔前には、太平洋岸の沖だけに起きると思われていたが、近年は日本海岸の沖にも起きることが分かってきた。日本海中部地震(1983 年)北海道南西沖地震(1993 年)がそうである。つまりここには地球の歴史から見ると新しい海溝が出来かかっているのだ。
 それに対して、内陸直下型地震は、名前のとおり、日本の内陸に起きる。どこにでも起きる可能性があるのだ。前者はたとえば東日本大震災(地震の名前としては東北地方太平洋沖地震。 2011 年)のような地震であり、後者は熊本の地震(2016 年)阪神淡路大震災(1995 年)のような地震である。

 ところが、首都圏の陸の下では、日本のほかの場所では陸の下には起きない海溝型地震も起きる。日本で陸の下で海溝型地震が起きるのは、ここと、あとは清水・静岡しかない。限られた場所のひとつが首都圏なのである。
 関東地震(1923 年)は、海構型地震のひとつだ。この地震のマグニチュ−ドは 7.9。つまり、この地震は海溝型地震だから、内陸直下型地震よりも大きな地震が起きてしまったのである。
 このため、死者行方不明者 10 万人以上という、日本最大の地震の犠牲者を生んでしまった。
 海溝型地震ゆえ、繰り返しがある。周期や一回一回の規模はばらつきがあるが、元禄関東地震(1703 年)は、関東地震のひとつ先代だと思われている。
 こちらのほうが地震としては大きく、マグニチュード 8.l 〜 8.2 と推定されている。小田原では津波による大被害が出たほか、海から2キロメートルも離れている鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮もこの鳥居まで津波に襲われた。関東地震のときは、ここまでは津波は来なかった。元禄関東地震での死者は 6,700 人、壊れたり津波で流された家は 28,000 軒にも達した。
 海溝型の地震は繰り返すが、一回ごとに規模は違う。まったくの同じ地震の繰り返しではない。
 プレートが3つも衝突している首都圏の地下では、それぞれのプレートが地震を起こすだけではなくて、プレートの相互作用でも地震が起きる。また内陸直下型地震は、プレートの内部のどこにでも起きる可能性がある。このために、首都圏は「地震が起きる理由」が多い。
 茨城県南東部や千葉県北部はフィリピン海プレートの先端近くにあるので、なかでも歪みが溜まりやすいところなのだ。
 じつは内陸直下型地震は、首都県全域でも起きる可能性がある。げんに小さい地震で幸いだったが 2016 年に東京・杉並区の地下にも地震が起きた。
 つまり、地震多発地帯であることを知らずに、茨城県南東部や干葉県北部に限らず、広く首都圏に住み着いてしまったのが日本人だということになる。

 じつは東京(千代田区にある気象庁)は全国に地震計が整備された 1922 年以来、 2009 年までの震度1の地震は 3,991 回で、全国的に地震が多い北海道・浦河の 3,592 回よりも多い。なお、浦河は第二次大戦後、震度5を超える地震に 16 回も遭ったという町で、日本一の震度5を体験した町である。
 つまり東京は全国でも地震が多いほうなのである。茨城県南西部や千葉県北部はもっと多い。
 小さい地震はプレートの活動の活発さ、つまりいずれ起きる大地震も含めて平均的な地震活動を反映するバロメーターである。なお、 2011 年に起きた東北地方太平洋沖地震の余震などで、東京(千代田区)の 2010 年代の数字はさらに跳ね上がった。
 首都圏の内陸直下型地震としては、 19 世紀以後だけでも 1855 年の安政江戸地震(マグニチュード 7.1)は日本の内陸で起きた地震としては最大の1万人近くの死者を生んだ。1894 年の明治東京地震(マグニチュード 7.0)は死者 31 人、 1895 年の茨城県南部地震(マグニチュード 7.2)は死者6人。そのほか 1921 年の茨城・竜ヶ崎地震(マグニチュード 7.0)、1922 年の浦賀水道地震(マグニチュード 6.8)も起きた。
 内陸直下型地震は、ひとつが起きたらしばらく起きないということはない。現に、新潟県中越地震が 2004 年にマグニチュード 6.8 の大地震として起きたあと、3年後に、近くで新潟県中越沖地震(マグニチュード 6.8)が起きた。
 江戸時代にも、首都圏の地震ははるかに多かった。 18 世紀から 24 回ものマグニチュード6クラス以上の地震が襲ってきていて、平均すれば6年に一度にもなる。数年に一度は震度5以上の地震に見舞われて、被害も人きかったのである。
 それが関東地震以来−転して首都圏直下の地震が不思議に少ない状態が続いている。この 90 年間に東京千代田区で震度5を記録したのは4回しかない。しかも、そのうち2回は首都圏直下ではなく、 2011 年のマグニチュード 9.0 の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)と 2014 年5月の伊豆大島近海のマグニチュード 6.0 の深発地震である。
 なぜ、 1923 年の関東地震以後、首都圏の地震が少ないのかは、学問的には分かっていない。しかし、関東地震の「ひとつ先代」である元禄関東地震(1703 年)のあとも、約 70 年間、江戸の地震は少なかった。もしかしたら、海溝型の大地震のあとは、しばらくは首都圏の地震が少なくなる理由があるのかも知れない。
 首都圏では、この静かな状態がいつまでも続くことはありえない。東日本大震災のあと、首都圏は約 90 年間の静穏期間が終わって、いわば「普通の」、つまりいままでよりは活発な地震活動に戻ると考えるのが地球物理学的には自然である。

 2011 年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災以降)は、情勢が変わってきている。この地震のマグニチュードは 9.0 だった。近年、日本で起きた地震ではもっとも大きい。
 この地震は、日本列島の地下にある基盤岩を−挙に動かしてしまった。ふだんは、じわじわ、プレートの動きに伴って基盤岩も動かされていくのだが、それはせいぜい、年間数センチ以下である。ところが、東北地方太平洋沖地震では、宮城県の牡鹿半島が 5.4 メートルも東南東に動いたほか。そこから遠くになれば、動きは小さくなるものの、それでも関東地方で 30 〜 40 センチも動かしてしまったのだ。
 いままでマグニチュード9を超える地震は世界で7つ知られているが、日本以外では例外なく火山の噴火が、地震後(翌日から数年後)に、近く( 1000 キロメートル以内)で起きている。なかには数百年以上の休止期間の後、噴火した火山もある。地震にも影響した。
 マグニチュード9を超える地震は 2004 年のスマトラ沖地震を除き、日本からカムチャッカを通ってアラスカ、南米までの環太平洋地域で起きている。
 大地震後に起きたこれらの噴火はいずれも 2014 年に起きた御嶽山の噴火よりも大きいもので、しかも多くの場合には複数の火山が噴火した。もし他国と同様の噴火が日本で起きるとすれば、 1000 キロメートルとは本州全部を覆ってしまうほどの大きさである。
 東北地方太平洋沖地震の影響は数年ないし数十年かかって、地震の起きかたに影響してくる。
 「余震」というものは本案を起こした地震断層の内部で起きるもので、東北地方太平洋沖地震の場合には岩手県沖から茨城県北部沖までの海底下だった。だが、この地震以後、震源が陸に上がってくる兆候がある。これは余震ではなくて誘発された地震と言うべきものだ。
 たとえば、東北地方太平洋沖地震の1ヶ月あとに、活断層である福島県内陸の井戸沢断層で起きたマグニチュード 7.0 の地震も、 2016 年 12 月末に茨城県北部の内陸で起き、高萩市で震度6弱を記録したマグニチュード 6.3 の地震も、その仲間なのである。
 今後、どう推移するのか、正確にはいまの地震学では分からない。だが、近年よりは、地震が増える可能性が高いことは確かなことであろう。

■参考文献(島村英紀の書いた最近の本)
島村英紀『多発する人造地震一人間が引き起こす地震』。花伝社。2019年5月。1500円+税
島村英紀『完全解説 日本の火山噴火』。秀和システム。2017年。1600円+税
島村英紀『富士山大爆発のすべて―いつ噴火してもおかしくない』。花伝社。2016年。1500円+税
島村英紀『地震と火山の基礎知識―生死を分ける 60話』。2015年。花伝社。1500円+税
島村英紀『火山入門ー日本誕生から破局噴火まで』NHK出版新書。2015年。740円+税
島村英紀『油断大敵! 生死を分ける地震の基礎知識 60』花伝社。2014年。1200円+税
島村英紀『日本人が知りたい巨大地震の疑問 50』サイエンス・アイ新書。2011年。952円+税
島村英紀『人はなぜ御用学者になるのか…地震と原発』2013年。花伝社。1500円+税

■島村英紀の連載
『夕刊フジ』に2013年5月からシリーズ「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」を毎週木曜に連載(発行日は翌金曜日)。いま295回
 



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