戻る 新潟地震(1964)
 −地震の姿を当時の新聞記事から読み解くー 
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[0] 初めに
 
 新潟地震は1964年6月16日の午後1時に発生しました。当初マグニチュード7.7と新聞報道されました。その後7.5と修正されています。その当時の新聞記事(毎日新聞を中心)と関連記事を以下にまとめました。今から50年以上前の記事ですので、判読しづらい箇所もあり、筆者が重要と考える箇所はテキスト化しました。
 新潟地震は石油コンビナートの火災や、液状化によるアパートの横倒しが注目されました。しかし、改めて当時の新聞を読みなおしてみると、それだけではないということが分かります。新潟地震の震源は新潟県の粟島付近ですので、南北に長い新潟県からすると、かなり、北端の部分であり、震源との直線距離を考えたなら、山形県の方が近く、新潟県に比べ揺れが強かったと推測されます。実際、山形県鶴岡市では、幼稚園が倒壊し、園児3人が亡くなっています。そして、山形県酒田市の中学校では、女子生徒1人が校庭に地割れに挟まれて亡くなるという悲惨な事態も発生しました。
 過去の地震を当時の新聞で読み返すと、皆さんの地震、津波防災知識の向上に役立つヒントがあると思いますので、どうぞ、ご覧になってください。
 
 
[1] 地震諸元

発生日 地震名 その他の地震名 最大震度 死者・行方不明者(人) 特記 時分 緯度(度) 経度(度) 深さ(km) 全・半壊戸数
1964/06/16 新潟地震 7.5 5 死者26人 13時1分 38.4 139.2 34
 
 
[2] 記事一覧
 
 
○以下の記事の採取期間は1964年〜2017年です。
 
○各記事の見出し・図をクリックすると記事全文を表示します。
 
○各記事中にある※は筆者の補足説明部分です。

 
(1)1964/6/16 新潟地震(M7.5)発生
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(2)1964/6/16 新潟地震 液状化で建物倒壊、石油タンクが炎上 毎日ニュース
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※地震当時のニュース映像(8分間)を見ることができる。
 
新潟地震 液状化で建物倒壊、石油タンクが炎上 毎日ニュース Youtube  1964/06/16

 
(3)1964/6/16 火災と液状化_大きく傾いた県営川岸町アパート
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 1955年に発生した新潟大火から復興を遂げてきたばかりだった新潟市内は大きな被害を受けた。信濃川左岸では、液状化現象により河畔の県営川岸町アパートが大きく傾き、ほぼ横倒しになった棟もあった。震源に近い信濃川右岸では、新潟空港の滑走路が津波と液状化により冠水し、新潟港内では火災が発生した。特に空港と港の間にある昭和石油新潟製油所(現昭和シェル石油新潟石油製品輸入基地)のガソリン入りタンクNo.33の配管が地震動で損傷し、漏出したガソリンが液状化により湧出した地下水と津波による海水の上を広がり、地震から約5時間後に爆発炎上した。火は水上の油に燃え移って広がり周囲のタンクも誘爆炎上させ拡大した火災は12日間に渡って炎上し続けた。火災は周辺民家にも延焼して全焼した建物は347棟、半焼6棟、被災347世帯、罹災者1407人[10]。この火災は国内で起きたコンビナート火災としては史上最大・最悪のものであると言われている。この石油タンクの火災は当時、液状化現象が原因と言われていたが、後に(他の大地震などの研究によって)長周期地震動によるものであることが解明された。(後略)
※上記はWikipediaによるまとめの文章である。
 
新潟地震_火災と液状化_大きく傾いた県営川岸町アパート Wikipe  1964/06/16

 
(4)1964/6/16 新潟・山形地方に大地震 橋が落ち、家屋は倒壊 震源地 新潟沖 ガスタンク大爆発
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 16日午後1時2分ごろ、新潟、山形、秋田地方を中心に、東北から関東、中部地方にかけて大きな地震があった。震源地は新潟県沖の日本海と見られる。震源地に近い新潟市、酒田市付近では地割れや土地の陥没があり、家屋倒壊、出火、浸水などが相つぎ、かなりの死傷者を出した。被害は判明するにつれさらにふえる模様。気象庁ではこの地震により津波発生の危険があるものとみて、ただちに青森県から能登半島までの日本海側一帯に津波警報を出した。同地方では5月7日、震度4の地震があったばかり。新潟気象台から気象庁にはいった連絡だと、新潟市内ではいたるところに大きな地割れが走り、同一時半すぎから津波の前兆とみられる信濃川の逆流がはじまり、川口から約5キロ上流の同気象台構内も浸水をうけている。関東地方では前橋で震度4を記録。東京では震度2だったが、高いビルなどでは避難した人もあった。なお、震度5に達する地震はことしはじめてである。
 
新潟・山形地方に大地震 橋が落ち、家屋は東海 震源地 新潟沖 ガスタンク大爆発 毎日新聞  1964/06/16

 
(5)1964/6/17 今日中にも万全策 政府 対策本部が初会合 まず交通網回復
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新潟地震非常災害対策本部は16日午後9時半から総理府で河野本部長(建設相)野田 副本部長(総理府総務長官)松村環境災害対策本部長(消防庁長官)らが出席して初会合を開き、関係各省庁からこれまでの被害状況とすでにとった応急対策をそれぞれ報告した。また中央の災害対策本部と現地の両災害対策本部との連絡をとくに密接にするため毎日5回現地から応急対策の報告を求め中央に対する要望を聞き対策に万全を期すことを決めた。
 
新潟地震 今日中にも万全策 政府 対策本部が初会合 まず交通網回復 毎日新聞  1964/06/17

 
(6)1964/6/17 新潟・無残なキズ跡 燃えるタンク キレツでずたずた 津波に洗われて
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新潟・無残なキズ跡 燃えるタンク キレツでずたずた 津波に洗われて 毎日新聞  1964/06/17

 
(7)1964/6/17 暗黒と恐怖の一夜 タンクつぎつぎ誘爆 油が流れ民家に延焼
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 16日昼過ぎ新潟、山形、秋田地方を中心に東北、関東、中部地方を襲った「新潟地震」の被害は調査が進むにつれて拡大、17日午前2時現在死者24人、行方不明者14人、負傷者257人に上っている。新潟市では夜になって昭和石油の4万5千KLのタンク2基はじめ3万KL3基など10基がつぎつぎと誘爆、恐怖におののいている。
(中略)
【新潟】余震と信濃川の浸水におびえる新潟市民に、さらに同9時半昭和石油の三万KLタンクに火が移り爆発した。火は近くの平和町の民家にも延焼、他のタンクの誘爆の危険もあり、付近半径1キロ以内の住民は避難した。
 さらに松浜町の日本ガス化学工場のメタノールガスが噴出し、近くの61世帯も山木戸方面へ避難するなど、深夜になっても恐怖はなお続いている。(中略)
 
新潟地震 暗黒と恐怖の一夜 タンクつぎつぎ誘爆 油が流れ民家に延焼 毎日新聞  1964/06/17

 
(8)1964/6/17 社説 新潟地震に万全の対策を
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社説 新潟地震に万全の対策を 毎日新聞  1964/06/17

 
(9)1964/6/17 被災地へ急ぐ救援の手 食糧を 水を 血液を 民間からも続々見舞品
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(前略)
渡線橋が列車の上に 新潟駅東渡線橋がこわれ、通過中のディーゼルカーの屋根に落ちる。線路はアメのように曲がっている
(中略)
ハム活躍で佐渡と連絡
午後7時ごろ、日本アマ無線連盟から「佐渡の被害を知りたい。連絡をとってほしい」との依頼があった。鈴木さんは夕食をとる間もなく取り組んで佐渡を呼んだ。
(中略)
 アマ無線でわかったところによると島の模様はこうである。
 地震とともに岸壁がひどく揺れ、山がくずれ、松の木が倒れた。材木や漁業協同組合の魚をいれた箱数1000個が町にゴロゴロ投げ出されて漁船6隻が陸にうちあげられた。午後11時すぎには水も相当ひいて島の人たちの恐怖も去り、平静を取り戻しつつある。
(後略)
 
被災地へ急ぐ救援の手 食糧を 水を 血液を 民間からも続々見舞品 毎日新聞  1964/06/17

 
(10)1964/6/17 火攻め、水攻めの新潟 県営アパートも横倒し 黒煙・濁水に逃げまどう 軟弱な新潟の地盤
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【新潟で浦野記者】夜空にたちのぼる"黒いキノコ雲"。黒煙の帯の幅は1000メートルはあろうか。昭和石油の石油タンクがふきあげる煙だ。その下で溶鉱炉の火のようにはげしい炎がもえつづける。新潟市に一歩足を踏み入れて感じたことは、大自然の力の前には、あまりにももろい人間の営みだった。
 
火攻め、水攻めの新潟 県営アパートも横倒し 黒煙・濁水に逃げまどう 軟弱な新潟の地盤 毎日新聞  1964/06/17

 
(11)1964/6/17 石油爆発の猛火 民家に延焼、有毒ガスの危険 空から消火剤、破壊消防へ 余震つづく
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【新潟で本社特派員団】16日の大地震でキレツ、浸水、火災と全半壊の"傷だらけの町"と化した新潟市は一夜明けた17日早朝から復旧のツチの音が力強く響き渡った。昭和石油のガソリンタンクの黒煙の帯はまだ重苦しく市街の空に覆いかぶさっているが、市民たちは力を合わせて排水作業に取り組み、新潟県地震対策本部は復旧の三本柱として、道路、水道、電気の早期復旧を打ち出した。復旧作業の中心は自衛隊の災害派遣部隊5500人、同朝6時には市の中心部である万代橋付近の道路の復旧も終わり、緊急物資の輸送もできるようになった。富山、石川など近県からも続々救援物資が届いている。
 
石油爆発の猛火 民家に延焼、有毒ガスの危険 空から消火剤、破壊消防へ 余震つづく 毎日新聞  1964/06/17

 
(12)1964/6/17 参院で緊急質疑 タンク消火が急務 自治相報告 一番困る飲料水 国鉄被害は戦後最高
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(前略)
 赤沢自治相 1、昭和石油は20万トン近い貯油があり、手の下しようもない状況である。化学薬剤はあまり効果はなく、つぎのタンクに延焼する危険があるため17日朝8時破壊消防にはいったとの報告を受けた。
(中略)
佐藤吉男氏(自・新潟)
(中略)
1、石油タンクの火災に際し米軍に応援を求めているが、わが国にもヘリコプターや消火剤があるのになぜ消火活動ができないのか。
(中略)
池田首相
(中略)
1、石油工場の火災にはとくに心配しているが、16日夜おそく7トンあまりの化学薬剤を空輸、空中からドラムカンで落としている。効果はまだわからないが、非常の場合を予想しあらゆる措置を講ずる考えだ。
(中略)
 
参院で緊急質疑 タンク消火が急務 自治相報告 一番困る飲料水 国鉄被害は戦後最高 毎日新聞  1964/06/17

 
(13)1964/6/17 惨禍にめげず 恐怖の一夜明けて まず道路の水かき 手に手にバケツ持って
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惨禍にめげず 恐怖の一夜明けて まず道路の水かき 手に手にバケツ持って 毎日新聞  1964/06/17

 
(14)1964/6/17 本社記者団座談会 この目で見た「新潟地震」 家にも田にも黒い砂
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【新潟】新潟地震を取材するため本社記者団は新潟市への唯一の連絡路、自動車による陸路から同市に入った。水、電気、ガス、電話ーとすべてを失い、陸の孤島と化した同市は自然の力でねじふせられたような状態だった。復興までいく日かかるのか、救援対策はどうなっているのか、市民の表情は、被害の状況は・・・記者たちに生々しい印象を聞いてみた。
 
本社記者団座談会 この目で見た「新潟地震」 家にも田にも黒い砂 毎日新聞  1964/06/17

 
(15)1964/6/17 一夜あけた新潟 スコップだ!復旧だ! 血走る目 砂かいだし
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【新潟で本社特派員団】空腹と恐怖に耐えながら暗黒の夜があけた。いつ襲ってくるかわからない余震と、くずれ落ちそうなわが家の心配で、ほとんどの人は地割れの道に野宿した。水道管が破裂し、たのみの井戸も少なく、飲み水すら行列しなければならない。昭和石油のタンクは、いつ消えるともなく燃え続け、ついに民家へ延焼をはじめた。再び避難だー。しかし、新潟の人々はそのドン底から立ち上がっている。家の中から泥をかい出し、倒れかけた家に突っかい棒をする。自衛隊を中心にスクラムを組んで″自然の猛威"への戦いを開始した。空は青く晴れあがっている。
 
一夜あけた新潟 スコップだ!復旧だ! 血走る目 砂かいだし 毎日新聞  1964/06/17

 
(16)1964/6/18 震災の新潟 ついに大火 200戸を焼きつくす タンクは猛煙 消火弾投下できず
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【新潟】新潟地震の発生以来燃え続けている昭和石油のタンク火災は、17日午後になって、ついに風下の住宅地に飛び火、18日午前零時までに、隣接の約200戸を焼きつくし、新潟全市の上空は物すごい黒煙に包まれている。焼失したのは同市臨港町1,2丁目、松島町の住宅地で、危険を感じた同市の対策本部は、現場から半径1キロ以内の全住民を避難させた。"地震""水害"に続く火?は市民をおののかせたが、救援の自衛隊と消防隊は全力をあげてやっと延焼をくいとめた。タンクの消火見込みはついていない。(後略)
 
震災の新潟 ついに大火 200戸を焼きつくす タンクは猛煙 消火弾投下できず 毎日新聞  1964/06/18

 
(17)1964/6/18 昭和大橋崩壊を重視 立地政策に産業災害を盛り込む 通産省検討
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 大蔵省は新潟地震で昭和大橋や県営アパートが、もろくもくずれたことを重視しており、建設省と共同で原因調査に乗り出す方針である。とくに昭和大橋などは、総工費3億7千万円のうち、3分の1を国が負担して、このほど完成したものだが、こんどの地震では他の橋が無事だったのに、ここだけ崩壊している。
 建設省では、これを技術的に欠陥があったためだとみている。大蔵省としても、この見方を妥当なものとし公共事業を目いっぱいに拡大してきた結果、一部にズサンな工事がでているとの観測を深めている。このため、大蔵、建設両省の共同調査の結果をみて、40年度からの公共事業について、きびしい検査を行う方針である。(後略)
 
昭和大橋崩壊を重視 立地政策に産業災害を盛り込む 通産省検討 毎日新聞  1964/06/18

 
(18)1964/6/18 地震は予想外だった」 石油タンクの安全性 昭石の対策本部談
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「新潟地震」の被害の中で最大の昭和石油の大火について、17日夜、同社の災害対策本部(本部長・早川洪二郎社長)は「安全装置はあったが、地震は予想していなかった」とつぎのように語った。
 安全装置はついているが、それは火災予防のためのもので地震を想定したものではない。安全装置は火災発生と同時に自動的に薬液がポンプでタンク内に送り込まれ、外部から水で冷却する仕掛けだが、今回はパイプラインが寸断されたうえに、ポンプを動かす電力が切れたため装置は役立たなかった。電力を使わないポンプも用意しているが、これもエンジンがひっくり返り、火災予防に打つ手がなかった。"耐震"のため特別の設計や装置をつけていなかった。(後略)
 
「地震は予想外だった」 石油タンクの安全性 昭石の対策本部談 毎日新聞  1964/06/18

 
(19)1964/6/18 「新潟地震」が教えるもの 各界の権威者に聞く
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座談会出席者
東大地震研究所教授(地質・岩石) 森本良平氏
鹿島建設技術研究所長(耐震建築) 竹山謙三郎氏
東大教授(都市工学) 高山英華氏
日大教授(耐震建築) 多治見宏氏
本社側 稲野治兵衛社会部長、市川五郎科学部長
 
「新潟地震」が教えるもの 各界の権威者に聞く 毎日新聞  1964/06/18

 
(20)1964/6/18 暗黒の新潟 緊張の第2夜 8000世帯、浸水のまま
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(前略)昭和石油の隣にある東北電力火力発電所の水素タンクが爆発すれば半径1キロの地域は大被害を受ける心配がある。午後1時20分、新潟防災本部は、タンク群の林立する周辺の30余町、約5万人に緊急避難命令を出した。
 逃げ出すには運河をまたぐ山下橋が唯一の出入口。急な避難でほとんどの人はわずかな身の回り品をふろしきに詰め、肩にかけ、黒煙や悪臭、油煙に追われるようにして、冠水した道路をはだしで山下橋を渡った。(後略)
 
暗黒の新潟 緊張の第2夜 8000世帯、浸水のまま 5万人が避難 毎日新聞  1964/06/18

 
(21)1964/6/18 新潟の復旧作業 急ピッチに タンク、やっと下火
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(前略)火元となった45000KL入りのタンク2基、30000KL入り3基の重油タンクは下火となり、巨大なタンクはくずれ落ちて溶け、ほとんど跡形もなく、広い敷地だけが一面に燃え続けている。この消火活動で一時は危険となった付近のガソリン、灯油タンク9基(45000KL)と酸素、水素ボンベ92本は誘爆を免れている。
 住宅街に延焼した火災も、その後全くおさまり、他の民家への延焼の恐れもなくなった。地震発生以来40数時間ぶりで、新潟の上空を覆っていた黒煙もようやく晴れてきた。(後略)
 
新潟の復旧作業 急ピッチに タンク、やっと下火 対策本部 まず水道修理急ぐ 毎日新聞  1964/06/18

 
(22)1964/6/21 新潟へ"地震調査団" 専門学者ら300人派遣 海藻枯れた"新陸地
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【新潟で今吉記者】新潟地震の被害は通信機関の復旧につれて、県下各地に大きな被害があったことがわかり、ことに岩船郡下や村上市で被害が大きいことがわかった。記者は20日午後、岩船郡神林村にヘリコプターで着陸、さらにこんどの地震の震源地に近く、1メートル半も隆起した粟島に強行着陸した。
 粟島の海岸線は赤っぽい岩と白っぽい岩の二ヵ所にくっきりと分けられていた。波打ちぎわは赤く、その奥が白い。近づいてみると、赤い色は岩に密生した海草が枯れたものだった。海の中にあったものが隆起して枯れたところだ。島の周囲をこの赤い岩の帯が囲み、隆起のあとを歴然とさせている。
 "旗岬"と島との間は約30メートル離れ、以前は漁船の航路だったというが、隆起して陸続きになってしまった。
 
新潟へ"地震調査団" 専門学者ら300人派遣 海藻枯れた"新陸地" 粟島 毎日新聞  1964/06/21

 
(23)1964/7/10 地盤が「液化現象」 新潟地震の調査報告会 大崎氏が発表
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 アラスカ・新潟地震調査報告講演会が、日本建築学会、日本地震工学振興会の主催で9日午後6時から東京千代田区有楽町、朝日講堂で開かれた。新潟地震について大崎順彦建設省建築研究所員は「新潟市の地盤が液化現象を起こし、建物はいわば液体の上に建っていた」と地盤の異常現象について報告した。
 
地盤が「液化現象」 新潟地震の調査報告会 大崎氏が発表 毎日新聞  1964/07/10

 
(24)1964/8/17 発生期にあった新潟地震 地殻変動、60余年のデータ
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 土地のかすかな上がり、下だりー地殻の変動ーをある期間、継続的に測量して地震の発生を予測することは、地震予知研究の重要テーマとなっているが、東京・目黒の建設省国土地理院測地部(部長・坪川家恒理博)は15日、新潟地震の震源地付近の4地点の過去60余年間にわたる克明な地殻変動のデータをまとめた。この結果、新潟地方はここ1、2年"地震の発生期"にあったことがわかった。大地震の震源地に近い場所で、過去の連続的な地殻変動をくわしくとらえたのは世界でもはじめて。文部省の審議会(宮地正司会長)でも「地震予知研究に有力な手がかりを与える貴重なデータだ」といっている。
 
発生期にあった新潟地震 地殻変動、60余年のデータ 国土地理院 数年前から不安定 毎日新聞  1964/08/17

 
(25)1964/8/18 新潟地震にメス 模型で震動実験も
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 科学技術庁は新潟地震による被害の実態と建築物、土木建設、近代産業施設の今後の災害対策などについての総合的な調査研究の内容をまとめ、17日発表した。このうちとくに爆発した石油タンクと完成後間もないのに落ちた昭和大橋について大規模な模型実験によって出火原因、破壊原因と耐震性を検討することになっており、成果が注目される。(後略)
 
新潟地震にメス 模型で震動実験も 毎日新聞  1964/08/18

 
(26)1964/8/29 地盤の"液化現象"解明 新潟地震で 大崎博士が発表
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 「新潟地震で建造物被害の大きな原因となった地盤の"液化現象"が建設省建築研究所の調査で解明され、28日、気象庁行動で開かれた新潟地震防災研究総合報告会の席上、大崎順彦同研究所構造研究室長から発表された。地盤の液化現象は軟弱な土砂が震動によって流動化するもので、新潟市内で被害を受けた鉄筋コンクリート建物310むねの3分の2がこれで、これでやられている。
 大崎博士ら同研究所の調査団は被災地の地盤変化を40数ヵ所にわたってボーリング調査し、震災前の状態と比較した。その結果、土砂が"液化"する限界値は土砂の"硬さ"と地表からの"深さ"との関係が決まり、たとえば深さ8メートルでN値(土砂の堅さを表す国際単位)が10以下だと液化現象が起こることをつきとめた。これで、従来ほとんど設計の上で扱えなかった液化現象を量的に扱うことができることになったわけ。
 液化現象にはじめて明瞭なデータを提出した研究として会場の注目を集めた。
 
地盤の"液化現象"解明 新潟地震で 大崎博士が発表 毎日新聞  1964/08/29

 
(27)1983/05/26 日本海中部地震(M7.7)発生
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(28)1983/5/27 社説 地震はどこにも起きる
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(前略)東北地方の日本海溝では昭和39年の新潟地震(マグニチュード7.5)をはじめ江戸時代に秋田沖でマグニチュード7クラスの地震が何度か起こった記録がある。(後略)
 
社説 地震はどこにも起きる 毎日新聞  1983/05/27

 
(29)1985/09/18 柏崎刈羽1号機運転開始
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(30)1993/07/12 北海道南西沖地震(M7.8)発生
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(31)1993/7/13 日本海東縁部に断層線 大地震、過去に3回
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(前略)この断層線は北海道、東北地方が乗った北米プレート(岩盤)とユーラシアプレートの境界とされ、付近では北から積丹半島沖地震(1940年、マグニチュード7.5)、日本海中部地震(83年、M7.7)、新潟地震(64年、M7.5)と今回の地震を含め計4回もの大規模地震が発生している。
 
日本海東縁部に断層線 大地震、過去に3回 毎日新聞  1993/07/13

 
(32)1995/01/17 阪神淡路大震災(兵庫県南部地震(M7.3))発生
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(33)2002/5/27 「日本海東縁の活断層と地震テクトニクス」発刊(東京大学出版会)
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大竹政和・平朝彦・太田陽子 編

はじめに
 日本海の東縁では,20世紀の半ば以後マグニチュード7.5を超える大地震が続発している。1993年には,この地域では史上最大の北海道南西沖地震(M=7.8)が発生し,死者・行方不明者230人を含む大被害をもたらした。また,秋田県の沖には大地震の空白域の存在も指摘され,この地域の地震テクトニクスを解明することは,地震防災の観点からもきわめて重要な課題となっている。
 日本海東縁の新生プレート境界説が発表されたのは1982年のことである(印刷論文となったのは翌83年)。中村一明と小林洋二によるこの画期的な新説を契機に,日本海東縁のテクトニクスの研究は新しい段階に入った。その直後に発生した1983年日本海中部地震(M=7.7)のメカニズムは,大陸側のプレートが東に向かって沈み込みを始めつつあるという彼らの主張とみごとに対応するものであった。
 しかし,その10年後に起きた北海道南西沖地震では,震源断層は逆に西傾斜を示し,単純な沈み込みモデルでは説明できないことが明らかになった。一方,プレート境界の位置についても,大地震の生起状況や地殻歪みの分布に基づいて,中村・小林の考えを一部修正する提案もなされてきている。しかし,これらの問題も個別の議論にとどまり,日本海東縁の地震テクトニクスを全面的に再検討する機会を得ないまま10年あまりが経過した。
 このようななかで,1994年から5年間,科学技術振興調整費による「日本海東縁部における地震発生ポテンシャル評価に関する総合研究」が実施され,この地域の地震テクトニクスに関わる重要な諸知見が得られた。韓国の水原にGPS観測点が設置され,日本列島と朝鮮半島の相対運動が明らかになったこと,最近約300万年間の地殻短縮量の定量的な推定が行われたこと,新たな活断層の発見により十日町断層の再定義が行われたこと等々である。なかでも,海底の変動地形の詳細が明らかになったことは特筆すべき成果である。これによって,海域と陸域の活構造を統一的な視点から俯瞰することも可能となった。一方,GPS観測の進展に伴って地殻歪みの高精度のデータが蓄積されつつあり,日本海東縁の地震テクトニクスを全面的に再検討する条件が整ってきた。
 本書は,上に述べた総合研究の成果を踏まえ,さらに日本海東縁の地震テクトニクスに関する最新の知見を集成して編まれたものである。ここには,地形・地質,地下構造,プレート運動,地殻変動,地震活動等,広い分野にわたる最新の研究成果が網羅されている。さらに,この地域の地震発生ポテンシャルの評価も試みられている。
 しかし,その内容は各分野の研究成果の単なる寄せ集めではない。執筆者たちは,総合研究の途上で分野を越えた真筆な議論を闘わせ,日本海東縁のテクトニクスについて統一したイメージを醸成してきた。そのなかで,日本海東縁に存在するのは海溝軸のような単純なプレート境界ではなく,プレートの相対運動は何条かの「歪み集中帯」によって担われているとの共通理解に達した。また,この歪み集中帯は,大局的には日本海拡大時のテクトニクスによって規定されていることも明らかになった。
 歪み集中帯は,地質・地形,明治期以来の測地測量,GPS観測,震源分布といった多様なデータに基づいて識別される。これらの結果を比較検討することにより,各手法が代表する数百万年から数年のさまざまな時間スケールで地殻変形の状況を捉えることが可能になった。この新しい方法論が本書全体を貫く背骨となっている。(後略)

 
(34)日本海東縁部の地震活動の長期評価について
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日本海東縁部の地震活動の長期評価について

平成15年6月20日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会

 地震調査研究推進本部は、「地震調査研究の推進について −地震に関する観測、測量、調査及び研究の推進についての総合的かつ基本的な施策−」(平成11年4月23日)を決定し、この中において、「全国を概観した地震動予測地図」の作成を当面推進すべき地震調査研究の主要な課題とし、また「陸域の浅い地震、あるいは、海溝型地震の発生可能性の長期的な確率評価を行う」とした。
 地震調査委員会では、この決定を踏まえつつ、これまでに、プレートの沈み込みに伴う大地震(海溝型地震)として、宮城県沖地震、南海トラフの地震、三陸沖から房総沖の地震活動、千島海溝沿いの地震活動について長期評価を行い、公表した。
 今回、引き続き、日本海東縁部の地震活動について、北海道沖から新潟県沖にかけて発生する大地震について、現在までの研究成果及び関連資料を用いて地震の調査研究の立場から評価し、別添のとおりとりまとめた。
日本海東縁部の地震活動の長期評価について 地震調査研究推進本部  2003/06/20

 
(35)2004/10/23 新潟県中越地震(M6.8)発生
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(36)2004/10/24 新潟で震度6強 震源浅く 重力超す1500ガル 小千谷観測
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(前略)元地震予知連絡会会長の茂木清夫・東京大名誉教授は、64年の新潟地震との関連を指摘する。
 茂木さんによると、新潟地震が起こり、その活動が信濃川に沿って徐々に南下しながら長期間にわたって続いたが、今回の震源は震源はちょうどそのルート上にある。茂木さんは「この地域は元々ひずみがたまりやすく、地震がおこりやすい。比較的大きな余震があったが、同クラスの地震が連続する群発型の可能性もあり、今後の活動に注意が必要だ」と指摘している。
 
新潟で震度6強 震源浅く 重力超す1500ガル 小千谷観測 毎日新聞  2004/10/24

 
(37)2004/10/24 M7.5 死者26人、家屋全壊2000戸 「64年新潟」以来の規模
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(前略)過去の最も大きな地震は1964年の新潟地震で、M7.5だった。死者26人、家屋全壊約2000戸の被害が出た。
 
M7.5 死者26人、家屋全壊2000戸 「64年新潟」以来の規模 毎日新聞  2004/10/24

 
(38)2004/11/5 原発のある柏崎市、刈羽村では 余震で緊急停止、不安広がる
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(前略)同池田力・刈羽村議は「液状化での被害は40年前の新潟地震の時にもあった。対策の研究や地盤改良事業など行政側で対応をとることを求めていきたい」としています。
 
原発のある柏崎市、刈羽村では 余震で緊急停止、不安広がる 赤旗  2004/11/05

 
(39)2006/5/26 原発と地震 揺らぐ耐震性 見直し急 耐震指針
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(前略)「日本で原発の耐震安全性は最初から最重要課題だった」と明かすのは、敦賀1号機の耐震設計を担当した秋野金治さん(元原子力発電技術機構特別顧問)だ。
 設計は66年から始まった。新潟地震(64年)の被害状況のスライドをもって米国に渡り、原子炉を製造する米企業に耐震設計の大切さを説いた。
 設計不備を見破り、建物を強くするため1万5千立方メートルのコンクリートを追加させたこともあるという。「当時、耐震設計は、日本が世界を引っ張っていた」と振り返る。(後略)
 
原発と地震 揺らぐ耐震性 見直し急 耐震指針 朝日新聞  2006/05/26

 
(40)2007/07/16 新潟県中越沖地震(M6.8)発生
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(41)2007/7/17 ひずみ集中帯で多発 「中越は活動期」証明 海底断層調査は不十分
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(前略)なかでも今回の震源付近での発生を懸念する専門家が多かった。
 茂木清夫・元地震予知連会長によると、周辺では64年の新潟地震や中越地震などマグニチュード(M)7級の地震が相次いだのに、今回の震源域はM4以上の地震が40年以上も起きていない空白域だったからだ。
 
ひずみ集中帯で多発 「中越は活動期」証明 海底断層調査は不十分 毎日新聞  2007/07/17

 
(42)2007/7/26 「原発震災」 新指針の不備、見直し急げ 石橋克彦
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(前略)それにしても今回は運が良かった。もし震源域がもう少し南西寄りで、Mが新潟地震の7.5ほどで、原子炉が7基とも運転中だったら、私が警告する「原発震災」になっていたかもしれない。それは、通常の震災と放射性災害とが増幅し合う破局的災害だ。(後略)
 
「原発震災」 新指針の不備、見直し急げ 石橋克彦 朝日新聞  2007/07/26

 
(43)2007/8/22 柏崎原発 閉鎖求める声明を発表 専門家らの会
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(前略)第四に、そもそも、柏崎刈羽原発の地盤が劣悪で、直近に複数の活断層があって大地震の危険性も高いことは、1974年から33年間にわたって地元住民たちが訴え続けてきたことであった。それが、地元の震災という莫大な犠牲によってようやく実証されたのである。今回は、不幸中の幸いとして原発の大事故には至らなかったが、それは地震の起こり方の奇跡的ともいえる偶然によるものである。もし、中越沖地震の震源域がもう少しだけ南西寄りだったり、マグニチュードが1964年新潟地震並みの7.5程度だったりしたら、もっと激しい地震動が原発を襲い、「止める、冷やす、閉じ込める」機能も破壊されて、環境への放射能大量放出が起こっていたかもしれない。私たちは、これらのことを深刻に考えなければならない。(後略)
 
柏崎原発 閉鎖求める声明を発表 専門家らの会 新潟日報  2007/08/22

 
(44)2008/1/5 初歩的ミス 地形学の常識を無視 国の専門家人選に偏り
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(前略)本県沖を含む日本海東縁では、逆断層が震源となった大規模な地震がたびたび発生。マグニチュード(M)7.5を記録した1964年の新潟地震や、M7.7だった83年の日本海中部地震が代表例といえる。(後略)
 
初歩的ミス 地形学の常識を無視 国の専門家人選に偏り 新潟日報  2008/01/05

 
(45)2011/03/11 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震(M9.0))発生
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(46)2012/10/18 9千年間に26回大津波 新潟・佐渡島に堆積物 柏崎刈羽原発に到達か
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(前略)津波対策を進める新潟県の依頼で、昨年から佐渡島東岸の両津港に近い加茂湖をボーリング調査。湖底3カ所で約1万年分の地層を抜き取り、津波が運んだとみられる海砂層を26確認した。
 加茂湖は海から数百メートル内陸にあり、海との間には標高2〜3bの砂州が広がる。津波はこれを乗り越えたとみられ「津波の高さは5メートル以上、主にマグニチュード7.5以上の地震が原因だったと考えられる」と言う。
 土中の植物や貝の年代から、上位3層は佐渡島で被害の記録のある新潟地震(1964年)、庄内沖地震(1833年)、佐渡沖地震(1762年)の可能性が高いと推定。ほかは10〜11世紀、3世紀、紀元前3世紀などで、最も古い層は約8800年前だった。(後略)
 
9千年間に26回大津波 新潟・佐渡島に堆積物 柏崎刈羽原発に到達か 東奥日報  2012/10/18

 
(47)2016/6/24 第1部_地震の基礎知識_1章_大きな地震と小さな地震_1.1_震度
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 震度報告点数の増大により,たとえば昔の震度6の地震と最近の震度6の地震とでは,意味合いが異なる事態が生じています.以下に,実例で示しましょう.
 図1.2(http://www.hinet.bosai.go.jp/about_earthquake/PNG/fig1.2.png)は,左が1964年新潟地震(M7.5),右が1934年南伊豆地震(M5.5)の時の震度分布を示しています.当然のことながら,新潟地震のような大地震では広い範囲で大きな揺れになるのに対し,南伊豆地震のような中程度の地震では有感の地域が局地的な範囲にとどまります.
 
第1部_地震の基礎知識_1章_大きな地震と小さな地震_1.1_震度 防災科研  2016/06/24

 
(48)2017/6/9 大地震にかけられた「あらぬ疑い」
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(前略)ちょうど53年前の1964年6月に新潟地震が起きた。マグニチュード(M)は7.5。この地震は地震史上で最大のコンビナート火災を起こした。
 一般の家からは火は出なかった。しかし新潟市内の石油製油所と貯蔵所4カ所から出火し、なかでも昭和石油新潟製油所の巨大な石油タンクが12日間も燃え続けたのだ。東京消防庁や米軍の応援まで得てようやく鎮火したが、近くの住宅60棟が全焼した。
 私が学生のころ、地震学者の大先生が作った地図では新潟が日本でいちばん地震がないところとされていた。だが、その直後に起きたのが、この新潟地震だった。
 この先生の研究に限らず、将来の地震危険度を表した地図はいくつもある。政府の委員会も権威があるはずの地図を毎年発表している。
 しかし、どの地図でも、安全だとされたところにその後、地震が起きている。たとえば2005年に起きた福岡県西方沖地震(M7.0)は日本史上初めて起きた地震だったのでまったくのノーマークだった。過去の歴史から将来の地震を予想することはかくも難しい。
 新潟地震では26名がなくなったほか、開通直後だった市内の昭和大橋が崩落したり、液状化で4階建ての県営川岸町アパートが倒れた。新潟県ばかりではなく秋田、山形など8県でも被害が出た。(後略)
 
大地震にかけられた「あらぬ疑い」 島村英紀  2017/06/09
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