[2024_02_09_06]幻の珠洲原発は日本最大級の原発集中立地計画だった 「幻の珠洲原発」とさせた反対派の戦いの歴史 珠洲原発を阻止した人びとが日本国を救った(その2)(4回の連載) 小坂正則(脱原発大分ネットワーク)(たんぽぽ2024年2月9日)
 
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幻の珠洲原発は日本最大級の原発集中立地計画だった 「幻の珠洲原発」とさせた反対派の戦いの歴史 珠洲原発を阻止した人びとが日本国を救った(その2)(4回の連載) 小坂正則(脱原発大分ネットワーク)

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3.「幻の珠洲原発」とさせた反対派の戦いの歴史

◎ 北陸電力が原発建設候補地を調査すると発表した1975年7月の3カ月後に珠洲市議会は原子力設置調査の要望を決議する。
 そして翌年の1976年1月年頭に、関西電力の芦原義重会長(当時)が、大規模な原発集中立地を関西電力、北陸電力、中部電力との3社共同で建設することを検討中と発表。同年に通産省資源エネルギー庁が原発の地質調査を開始。
 翌1977年3月、資源エネルギー庁は、黒瀬珠洲市長に対し、同市2個所で行った立地地質調査について、「地盤が固く、原発立地に適している」と伝える。
 1975年に議会が誘致決議を挙げて、関電が原発建設計画を発表して、国が調査して敵地と決めるのに、僅か2年という猛スピードで建設計画は進んでいったのです。

◎ 1979年3月に米国スリーマイル島にてメルトダウンによる放射能汚染の原発事故が起きる。
 そこで原発の危険性が現地の住民の間に伝わっていく。
 そして翌1980年4月、珠洲原発の反対運動「珠洲原子力発電所建設反対同盟」と能登(志賀)原発の反対運動などとの共催で「原発を許さない県民の集い」を開催。1986年ソ連のチェルノブイリ原発事故が起きて全国で反原発運動の火が燃え広がる。

◎ 1989年5月に関西電力が珠洲市高屋地区で、立地可能性調査に着手するが、建設反対派による実力阻止行動や珠洲市役所での座り込みにより、同年6月に調査を一時見合わせることを決定。
 1993年4月の珠洲市長選で原発推進派の現職・林幹人と反対派の樫田準一郎(元小学校校長)が立候補して、推進派と反対派の一騎打ちの市長選が行われたが、この選挙の開票場で推進派による不正が行われて、投票用紙が16票多いという前代未聞の選挙となった。

◎ 反対派は開票所でポケットから投票用紙を出すところをビデオを撮っていて、石川選管に審査請求を求めても却下されたが、名古屋高裁と最高裁で勝訴。
 1996年7月、やり直しの市長選挙が行われる。前市長は立候補せず後継推進派と前回の樫田準一郎氏の一騎打ちとなり、推進派9300票、反対派7500票と前回より票差は縮まったが反対派は落選。
 その裏には、関西電力の社員を動員して選挙介入をしたり、投票翌日に助役が特別公務員による地位利用の事前運動容疑で逮捕・起訴される。市役所は総出でなりふり構わず推進派市長誕生のために選挙違反を行ったのです。

4.2006年泉谷市長の誕生で原発計画は白紙へ

◎ 関西電力は、長引く不況や原発建設のコスト高などに、人口減少や製造業の海外シフト等による電力需要低迷などの理由と、電力自由化の進展により、厳しい経営環境が予想されるとして「一時建設計画は凍結する」と発表しました。
 そして2006年、「一時凍結はいつ解凍するかもしれない」と、原発反対派の泉谷満寿裕氏が珠洲市長選へ立候補し、推進派の市長を破って当選したのです。
 珠洲市有権者の過半数を超える民意のもとで「原発設NO」が確立されたのです。
 これで「珠洲には原発は建てさせない」ということが決まり、珠洲原発は幻となって関西電力も完全撤退したのです。

5.先人の歴史の積み重ねで私たちは生き延びる

◎ 1975年の原発誘致決議から2006年まで31年間に及ぶ長い戦いの結果、2024年の能登半島地震の際に、幻の珠洲原発は当然核暴走しませんし、放射能が日本列島にばら撒かれることもありませんでした。
 1970年の大阪万博に間に合うように建設された敦賀原発1号機です。
 それから2011年の福島第一原発事故まで、54機の原発が稼働しましたが、その裏には珠洲原発を阻止した珠洲市のように、50カ所以上の地方で原発建設を阻止した住民の闘いがあったのです。

◎ 九州には現在、佐賀県に玄海原発と、鹿児島に川内原発が稼働しています。九州北部と九州西南部です。そこで九電は何としても東九州に原発を建設しようと試みます。宮崎県串間市に九電は立地調査所まで作って、本格的な建設を推進しました。
 その動きと並行して、大分県蒲江町には2度にわたって、「蒲江町に原発立地か」という読売新聞による観測記事が書かれました。
 実際には蒲江町に九電から立地調査の打診はなかったと当時の町長は話していましたから、九電による観測気球(地元の反応を見ることと、立地計画地の推進派を焦らせる効果がある)だったのかもしれません。
                (その3)に続く

 (『つゆくさ通信』182号、2024年1月20日 「脱原発大分ネットワーク」発行より了承を得て転載)
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