[2024_02_08_06]幻の珠洲原発は日本最大級の原発集中立地計画だった (高屋地区と寺家地区の2ヵ所、それぞれ100万kw級の原発) 珠洲原発を阻止した人びとが日本国を救った (その1)(4回の連載) 小坂正則(脱原発大分ネットワーク)(たんぽぽ2024年2月8日)
 
参照元
幻の珠洲原発は日本最大級の原発集中立地計画だった (高屋地区と寺家地区の2ヵ所、それぞれ100万kw級の原発) 珠洲原発を阻止した人びとが日本国を救った (その1)(4回の連載) 小坂正則(脱原発大分ネットワーク)

 04:00
◎ 2024年元旦の能登半島地震(M7.6)は最大震度7でした。
 石川県では犠牲者が1月24日現在で、236人。行方不明者が19人です。
 お亡くなりになった皆さんのご冥福をお祈りいたします。
 また被災者でまだ1次避難所に寝泊まりしている方が490カ所で14,480人もいるそうです。そのほか、障害があって避難所に行けない方や独自に避難している自主避難の方を加えると、2万人近くの方々がまだ困難な避難生活を過ごしているのでしょう。

◎ この能登半島地震では多くの犠牲者が出ましたが、志賀原発が運転していなかったのが不幸中の幸いだったと思います。
 2011年3.11では東電福島第一原発事故で多くの原発関連死者が出ましたが、福島第一原発2号機の原子炉爆発の危機と4号機の使用済み核燃料のメルトダウンが偶然、奇跡的に防げたことで東日本が死の街にならずに済みました。

◎ 福島一原発事故は偏西風により、放射能の80%は太平洋に降ったことで、幸運にも日本列島の半分が死の街にならずに済んだのです。
 今回の能登半島地震も志賀原発が止まっていたため、事故の一歩手前まで行った可能性はありますが、大事故に至りませんでした。
 今回の震度7の地震の震源地は珠洲市ですが、そこには100万kw級の原発が、北陸電力と関西電力と中部電力3社共同で少なくとも2機以上の原発を建設する予定だったのです。

◎ しかし、現地の住民や能登の労働組合など多くの市民の力で建設を阻止できたから、原発事故は起きませんでした。
 原発建設に反対して、28年間もの長い間、地元住民や良識ある裁判長や私たち反原発の市民のたたかいの積み重ねで阻止したのです。
 もし、震源地の真上の珠洲原発建設を許していたら、関西から関東はもとより北は北海道、南は九州まで日本列島の大半を覆いつくすほどの放射能がバラまかれたかも知れないのです。

1.珠洲原発は世界最大の原発立地計画だった

◎ 私は能登半島地震と志賀原発と幻の珠洲原発の歴史を「つゆくさ通信」の記事に書こうと思って文献を調べていて、びっくりしたのですが、能登半島の先端の珠洲市に珠洲原発の建設計画が1975年10月30日に珠洲市議会の全員協議会において、原子力施設設置適地可否調査の要望を決議したことから珠洲原発の歴史は始まりました。

 翌1976年1月13日に関西電力・芦原義重会長が、「珠洲市に合計で1000万kw級にも及ぶ原発の集中立地を関西電力、北陸電力、中部両電力の3社共同で建設する」と発表したのです。つまり幻の珠洲原発が能登半島の先端に建っていて、その直下で今回の地震が直撃していたら、絶対に原発大事故が起きていたことでしょう。
 それを幻の原発として葬り去った人々の労苦を振り返ってみることにします。

2.13年間動いてない志賀原発は廃炉にすべきだ

◎ その前に志賀原発の歴史を振り返ってみます。
 1967年7月に北陸電力が能登原発の候補地4地点を公表。1970年に志賀町に決定。1993年7月に稼働。運転6年目の1999年に1号機で定期検査時に誤って制御棒3本を引抜いて、核燃料が臨界するという大事故を起こしたが、2007年3月まで隠蔽し続けたのです。
 北陸電力の隠蔽体質が住民の信頼を失墜させて、原発反対の空気を醸成したことでしょう。

◎ 志賀原発2号機の建設が始まる1999年と同時に「運転差し止め訴訟」を16都道府県の住民が提訴し、2006年金沢地裁で判決が下り、「運転差し止め提訴の原告勝訴」の判決を井戸謙一裁判長が出しました。(井戸謙一裁判長は伊方原発裁判の弁護団の1人で、日本で最初に原発運転差し止め判決を下した裁判長です)
 このような井戸裁判長の力も建設を阻止する力として醸成したことでしょう。
 志賀原発1号と2号の原子炉直下には複数の活断層が走っています。

◎ 2012年7月、原子力安全・保安院の専門家会議において、発電所敷地内に活断層があると指摘。2016年、原子力規制委員会は有識者会合で1号機原子炉建屋直下の断層について「活断層と解釈するのが合理的」とした報告を行う。
 この報告書がくつがえらなければ1号機は廃炉になる予定だったが、2023年3月、規制委員会は有識者会合の決定を覆して、有識者の意見に従う必要はないとして、運転を認める方向で現在まで進んで来ました。

◎ これは岸田政権の介入によるものです。
 だから岸田首相は今年の年頭会見では、一言も志賀原発による地震被害には触れなかったのです。北陸電力と政府は「志賀原発は地震の影響はなかった」と当初は発表していました。
 しかし、2系統の外部電源のうち50万kwが遮断して、25万kwの送電線が辛うじて繋がっていることや、変圧器の絶縁用油が約3.5トンの漏れがあった(実際には20トン)との報告があり、この油は可燃性の危険物で一歩間違えば大火災となっていたとところです。また3mを超える津波が防潮堤を襲い、防潮堤が傾くような被害も隠していた可能性があります。

◎ 志賀原発は2号機が2011年1月に事故で停止。1号機は2月に事故で停止した後、福島第一原発事故により、2つの原発は13年間も止まったままです。
 今回の地震で震度7の直下型地震が直撃しても原子炉が止まっていために大事故に至らなかった可能性があります。もし動いていたら変圧器の油に何らかの炎が引火して大事故になっていたかもしれません。これからは能登半島地震で志賀原発が大きな被害を受けたことにより、廃炉を要求する声が全国で広がり簡単に再稼働はできないでしょう。
                       (その2)に続く
 (『つゆくさ通信』182号、2024年1月20日 「脱原発大分ネットワーク」発行より了承を得て転載)
KEY_WORD:能登2024-珠洲原発(2003年凍結)_:FUKU1_:IKATA_:NOTOHANTO-2024_:SIKA_:珠洲原発_: