[2023_08_31_24]「核燃まいね」掲げ37年 「母の会」デモ10月終了 弘前 体力面で活動厳しく(東奥日報2023年8月31日)
 
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「核燃まいね」掲げ37年 「母の会」デモ10月終了 弘前 体力面で活動厳しく

 核燃反対を掲げ、1986年から弘前市内でデモ行進を行ってきた「放射能から子どもを守る母親の会」が、10月でデモを終えることを決めた。37年間続けてきたが、参加者の高齢化もあり、体力面で難しくなったのが主な原因という。メンバーは「デモ以外のやり方で反核の思いを伝えていきたい」と話している。
 26日、弘前大学前に11人が集まった。「今は声に出せない人もいつか『まいね(津軽弁で駄目)』と大きな声で言える日を実現したい」。拡声器は使うが音量を絞り、シュプレヒコールは上げない。代わりにパッチワークで「かくねんまいね!」とあしらった垂れ幕を持ち、桜大通りまでのいつものコースを約40分かけて歩いた。
 参加した村松正江さん(74)は「活動が『ぬるい』と言われたこともあったがこれでいい。やれることをやれるときにやれるだけやればいい」と語った。
 母の会は、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きた約3カ月後の86年7月14日に初めてデモを行った。子や孫に豊かな自然を残すことを目的に集まったのが始まりだ。現在デモは2カ月に1回程度、十数人が集まる。
 初期から参加する倉坪芳子さん(70)は、当初は風当たりの強さから顔を上げて歩くことができなかったという。それでも沿道にいた知人から思いがけず「頑張れ」と声をかけられ、「反対したくても声に出せない人がいるはず」と参加し続けた。
 最後のデモは10月28日。315回目、語呂合わせで「さいご」となる。メンバーの植木明美さん(69)は「(推進派にとって)喉に引っかかつた魚の骨ぐらいにはなれたはず」とこれまで活動してきた意義を語った。
    (吉田希望)
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