[2023_03_03_07]90年前の昭和三陸津波伝承碑、避難目標の役割今も 青森県内に10基 #知り続ける(東奥日報2023年3月3日)
 
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90年前の昭和三陸津波伝承碑、避難目標の役割今も 青森県内に10基 #知り続ける

 1933(昭和8)年3月3日に発生した昭和三陸津波から90年。この災害に由来する津波記念碑などの石碑類は現在、青森県には10基確認できることが岩手県立博物館専門学芸調査員の目時和哉さん(40)の調べで分かった。犠牲者数が多かった岩手、宮城両県と比べると基数は少ないものの、目時さんは「複数の自治体に統一のモニュメントが設置され、いずれも住民から手厚く扱われている」と独自性を指摘。間もなく12年を迎える東日本大震災でも、これら石碑類は避難目標としての機能を果たしたとみている。
 三陸沿岸を中心に近代津波モニュメントを研究している目時さんは、モニュメントを(1)犠牲者供養のための供養碑(2)教訓を伝承する記念碑(3)浸水線を示す標石−に分類。青森県では東日本大震災後の約10年間で、三沢、おいらせ、八戸、階上の4市町の12基(1896年の明治三陸津波由来が2基、昭和三陸津波由来が10基)を現地調査した。
 このうち、4市町に建立された「震嘯災(しんしょうさい)記念碑」5基はいずれも同一形状で灯台を思わせる特徴的なデザイン。当時の多久安信知事が記した「地震海鳴りほら津浪」の碑文も一緒だ。いずれも昭和三陸津波の後、東京朝日新聞社に寄せられた義援金で建立された。
 同社義援金で建てられた記念碑は青森県以外にもあるが、目時さんは青森県の独自性について「岩手や宮城にはないユニークな造形。しかも市町村をまたいだ同一のモニュメントは全国的にも珍しい」と指摘。当時の青森県が主導し、避難目標の役割も期待して被害が大きかった地域の高台に設けた可能性が高いとみる。
 5基のうち三沢市三川目地区にあった1基は老朽化のため2014年に解体。その後、銘板を使った新たなモニュメントが同地区の別の場所に設置され、伝承の役割を継続している。
 八戸市の震嘯災記念碑は館鼻公園内にある。同公園には19年、市みなと体験学習館(みなっ知)が開館した。前澤時廣館長(70)は「ここは江戸時代から港に出入りする船のために潮の状態や天候を見極めていた場所。90年前に記念碑が建てられ、現在、震災伝承施設があることは意義が大きい」と津波災害の伝承の必要性を訴える。
 このほか特異なモニュメントとして、昭和三陸津波で被災した船のスクリューを用いた記念碑が八戸市の蕪嶋神社にある。目時さんは「当時の被災者がどのような形で大津波を次世代に伝えるのか知恵を絞った跡がうかがえる」と指摘した。

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 昭和三陸津波 1933年3月3日午前2時半ごろ、三陸沖を震源にマグニチュード8.1とされる地震が発生し、大津波が沿岸部を襲った。「三陸地方震災被害調」や内閣府によると、岩手県を中心に北海道、青森県、宮城県で、死者・行方不明者は計3千人以上。7千軒超の家屋が流失した。青森県の死者は30人程度といわれる。
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