[2015_07_21_01]遺跡からの警告 地震考古学 南海トラフ編 永長東海地震、康和南海地震5 列島各地で火山噴火 日本側では大津波も(東奥日報2015年7月21日)
 南海トラフで永長東海地震と康和南海地震が発生し、西日本の広い範囲が被害を受けた11世紀ごろ、列島各地でも噴火や大津波が相次いだ。
 「富士山の頂の少し平らぎたるより、煙は立ち上る。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ」。菅原道真の子孫に当たる菅原孝標女は、自身の半生記「更級日記」で13歳だった1020年に見た富士山の様子をこう記した。
 小山真人静岡大教授は「夕暮れに見えたのは、山頂火口の赤熱溶岩や高温の火山ガスが雲や噴煙に映って赤く見える火映現象だろう。当時の富士山が、高いレベルの活動状態だったことが分かる」と指摘する。
 平安時代の歴史書「扶桑略記」などによると、富士山は1033年と1083年、浅間山は1108年、伊豆七島は1112年に噴火した。
 小山教授は、伊豆七島が噴火した際、右大臣藤原宗忠が日記に「東方から太鼓をたたくような昔が聞こえ、人々を驚かせた。富士山噴火や浅間山噴火の時も同じような昔がしたと説く者がいた」と書いたのに注目。
 「富士山も浅間山も、都まで音が聞こえたなら爆発的な大瞭火だったはず。扶桑略記には1083年の富士山噴火以降、大気異常を思わせる『太陽や月が赤く見えた』という記事が増える。富士山噴火の影響かどうか、今後の調査に期待したい」と言う。
 一方、卜部厚志新潟大准教授(地質学)は2014年9月、能登半島先端の石川県珠洲市と能登町で、10〜11世紀に大津波が到達したことを示す堆積物を確認した。
 新潟県・佐渡島東岸の加茂湖と西岸の春日崎でも同時期の津波堆積物を確認しており、「津波の到達状況が1833年に起きた庄内沖地震とよく似ている。日本海東縁部で起きた大地震が原因ではないか」と話す。
 日本海東縁部は北海道北西沖から新潟県沖にかけて北米プレートとユーラシアプレートが衝突する場所で、1983年の日本海中部地震、93年の北海道南西沖地震などM7クラスの大地震が次々に発生している。
 「日本海北部で発生した津波は、大和海嶺にぶつかって日本列島へ押し戻され、島根・隠岐諸島にも到達する。柏崎刈羽原発や島根原発も、こうした日本海側の特徴を踏まえた津波対策をするべきだ」と卜部准教授。
 太平洋側の巨大地震と前後して噴火や日本海側の地震が続く状況は、9世紀や現代と似ている。
 産業技術総合研究所の寒川旭客員研究員(地震考古学)は「プレート境界にひずみがたまると、押される陸側に影響が出やすくなる。次の南海トラフ地震が近づく中、日本海側では1995年の阪神大震災以降、鳥取県西部地震や新潟県中越地震、福岡県西方沖地震、能登半島沖地震、新潟県中越沖地震と続いている。これからさらに増えるだろう。自分が住む地域で過去に起きた災害を知り、避難先などを考えておいてほしい」と話した。
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