[1997_10_13_25]反原発運動マップ_北海道奥尻町_奥尻再処理工場計画_戸田利正●北海道平和運動センター_p30-31(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_北海道奥尻町_奥尻再処理工場計画_戸田利正●北海道平和運動センター_p30-31

 北海道の離島、奥尻島は、1993年に大地震に見舞われたが、この島に核燃料再処理工場の誘致問題がもちこまれたのは、75年のことであった。当時の町長が関係機関に働きかけを行ない、電源開発(株)が現地調査に入ったのをマスコミがキャッチしたことから表面化した。75年の統一地方選挙で交代した越森幸夫町長もこれを受け継ぎ、町の関係者を積極的に東海村などの原子力施設視察に送り込み、落選した前町長も商工会や漁協への働きかけを強めたが、いずれも住民には正確に知らされず、水面下の動きにとどまっていた。当時の社会党、全道労協の働きかけで北海道原発反対共闘会議、道南エネルギー対策協議会が結成され、本格的に原発および関連施設の誘致に反対する運動が活発化するにつれて、誘致運動は弱まった。
 この動きが再び活発化するのは82年からで、この年、再処理工場調査委員会設置条例案が議会に提案され、83年7月に可決。反対住民の委員会廃止の住民請求は否決され、84年3月の議会による関係団体視察へと進んだ。視察報告書を見ると、「(誘致について)現在の道行政にはアプローチできない」という意味の内容も盛り込まれているが、これは、前年に誕生した横路道政を念頭においたものである。新しい道行政による拘束、反対運動の高まり、そして何よりも84年に明碓になった、最大の競争相手であった青森への核燃料サイクル基地の建設決定によって、4300人の過疎の島における誘致運動は宙に浮いたかたちになり、現在に至っている。
 同島はもともと魚介類の宝庫。林業、牧畜も盛んであり、条件を活かせば、豊かな町となりうる可能性は十分にある。健全な町の発展が望まれる。

[奥尻町]
 面積142・94平方キロメートル、人口4338人(1996年3月末現在)。本文にあるように水産資源に恵まれた島で、名所や史跡が多く、夏は観光客でにぎわう。93年7月12日、北海道南西沖地震で大きな被害を受けた。
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