[1997_10_13_24]反原発運動マップ_福島県浪江町・小高町_浪江・小高原発は絶対に建たない_舛倉隆●棚塩原発反対同盟_p59(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_福島県浪江町・小高町_浪江・小高原発は絶対に建たない_舛倉隆●棚塩原発反対同盟_p59

 棚塩原発反対同盟は、1967年5月25日、福島県の浪江町議会が棚塩住民に秘密にして浪江・小高原発計画にもとづく原発誘致を決議したことで始まった。地元の一人の町議を除いて、町長も23名の町議も、一坪の土地もない者たちである。68年の木村知事の年頭の挨拶でこのことを知り、大字の全戸、142戸で反対同盟が結成された。子や孫の代まで原発公害が無い、生活の主体である米に放射能米のレッテルを貼られる恐れがないという二点が確認されるまで反対することを、全会一致で決めた。各人が原発に土地を売らなければ原発はできない。それで@原発には土地は売らない、A県・町・電力とは話し合わない、B他党と共闘しないの三原則が、相談の結果、反対同盟の規約と決まった。
 69年、私は、二代目の反対同盟委員長になった。放射能勉強の始まりであった。72年、県開発公社の事務所が地区内にできて五人の職員が常勤、町役場が七人、東北電力から八人の計20人で地主の一本釣りを始めたが、あまり進まなかった。81年、束北電力は事務所を計画地内に移し、40人と増員した。県開発公社は五人を増員して切り崩しを始めた。前渡し金として山一反110万円〜220万円、田270万円を渡し、土地は開(後略)

[浪江町]
 面積223・10平方キロメートル、人口2万3946人(1996年3月末現在)。産業は米作農業が中心。東北一のサケのやな場があり、サケ漁の時期は観光客で賑わう。

[小高町]
 面積91・95平方キロメートル、人口1万4329人(1996年3月末現在)。相馬藩が築いた浮舟城の城下町。米を中心とした農業地帯だが、企業誘致に力を入れ、光学・精密機械などの工場が進出している。

舛倉さんの闘いを伝える
恩田勝亘「原発に子孫の命は売れないJ (七つ森書館)
KEY_WORD:浪江_小高_原発計画_: