[1997_10_13_15]反原発運動マップ_和歌山県日置川_日置川原発計画_西尾智朗●和歌山県日置川(ひきがわ)町_p165-166(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_和歌山県日置川_日置川原発計画_西尾智朗●和歌山県日置川(ひきがわ)町_p165-166

 1976年2月に開会された和歌山県日置川町の臨時町議会で、土地開発公社所有の土地を関西電力に売却することを議決、海岸部の広大な山林原野が売却されました。これにより、それまで水面下で動いていた原子力発電所の誘致問題が一気に噴出したのです。当時、原子力発電所についての知識も情報も少ない中で、売却をする最大の理由は、町財政赤字の立て直しでした。以来、政争の町と化した日置川町では、数回の町長、町議選挙などにより、対立は「反対」「賛成」の溝を次第に深める中、反対派は原発反対連絡協議会を結成、また推進派は原発推進協議会を設立するなど、住民対立から組織対立へと変化していくのです。
 計画が表面化してから三人の町長が交代する中、88年7月に当選した原発反対派の三倉重夫氏の選挙勝利は、チエルノブイリの事故などによる影響も受け、女性がはじめて表面に出てきた選挙であり、大変厳しい闘いを乗り越えて見事初陣を飾る結果となりました。少数与党で出発した三倉町政も二期目を迎え、一部推進課員の理解も得ながら、92年6月議会が原発推進決議を白紙撤回、95年3月には、日置川町長期基本構想(86年議決、原発誘致を軸とした長期基本構想)の見直しを議会へ上程、全会一致で可決承認するなど、着実に公約の実現にむけて成果を上げています。
 しかし、日置川町は国の重要電源地域の初期地点として今なお通産省の指定下にあり、今後、町として基本構想に基づき通産省に対して指定地域の早期見直しを求めていく必要があります。一方、電力会社においてもサービスセンターを中心に立地活動が活発に行なわれている状況ですから、今後も、この原子力問題については決して予断を許す状況ではありません。
 国策に振り回されず、一つの企業を頼りにせず、お金に惑わされず、知恵を出し、主体性と夢のある行政適用を期待しながら、日置川町からの近況報告と致します。

重要電源・初期地点
 国が特に重要と定め、推進対策を講じることを、総合エネルギー対策推進閣僚会議(全閣僚で構成)で了承した大規模発電所計画を「要対策重要電源」と呼ぶ。93年からは発電所以外にも適用範囲をひろげ、幌延の貯蔵工学センターが初適用となった。それに準ずる地点として通産省が単独で指定するのが「初期地点」。これらの指定を受けると、地域振興のための補助金や交付金が交付される。

[日置川町]
 面積136・31平方キロメートル、人口5488人(1996年3月末現在)。大塔日置川県立自然公園、熊野枯木灘県立自然公園にふくまれる豊かな自然を生かした町の活性化が図られている。
KEY_WORD:日置川_原発計画_: