[1997_10_13_14]反原発運動マップ_和歌山県日高町_日高原発計画_松浦雅代●原発がこわい女たちの会_p167-170(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_和歌山県日高町_日高原発計画_松浦雅代●原発がこわい女たちの会_p167-170

 和歌山県に原発問題が浮上してきたのは、1960年代の後半です。「紀伊半島エネルギー基地化構想」が語られ、相前後して、三カ所の町議会が誘致決議をします。しかし、住民が猛反対して、三年から五年の間に白紙撤回や反対決議で原発を追い出します。
 その後の1975年に、日高町に突然また計画が持ち上がります。前の候補地から二キロ離れた土地。それも海を埋め立てて原子炉を建てる計画で、この時、関西電力、町当局、議会、推進団体が見事な連携プレーを行なって、わずか一週間ほどの間に、事前調査促進の請願、請願の採択、原発に関する特別委員会の設置などが行なわれました。陸上調査も完了、海上調査を許せば建設へ一直線という段階で、スリーマイル島原発の事故が起こり、町は計画の一時凍結をしますが、すぐ国から安全宣言のお墨付きをもらい、原発設置への行動は再開されます。ところが今度は、漁協内での多額の不正融資事件が発覚します。当時の推進派の漁協幹部らによる原発補償金の思惑がらみの不正融資でした。県は関西電力の協力による漁協の再建を迫ったのですが、反対漁民は自主再建を主張、漁協再建まで原発問題はタナ上げとしました。反対派の理事は少数でしたが、勇気をもって乗りきりました。とても緊迫した時でした。その後も、反対派の組合長がいつの間にか推進に変わっていたりして、まさかこの人が、という仲間が落とされていく経験がつづきました。
 小さな町は、推進と反対とで真っ二つになってしまいました。村祭りはもちろん、法事もできないように、親戚、親子、兄弟であっても反目し合い、道で会っても互いにそっぽを向く状態で、何年も口をきかないと言います。特に、子どもたちまでが推進と反対に別れて行動することに、母親たちは心を痛めていました。反対グループを分裂させようとする巧妙な誹謗中傷もあり、「謀ったり」「はめられたり」で、ほんらい民主的な運営を指導するはずの県が、民主主義を無視したやり方で圧力をかけてきました。
 事が長引くと、権力側に有利になります。電力会社の立地部が毎日漁村に来て、推進の説得と住民の情報集めをしていきました。エネルギー危機、電力の安定供給に名を借りて、地域の住民の民主主義を破壊し、地方自治を私物化していきました。町当局と電力会社が組んで住民の動向を管理し、個人的な弱味につけこんで切り崩していきました。
 スリーマイル島原発の事故が風化しかけ、おかしな雲行きになりかけた時に、チェルノブイリ原発事故が起こりました。しかし、推進派はやはり推進の姿勢を変えず、国は安全宣言を出し、仮谷県知事は「経済活性化のために原発の一つや二つつくりたい」と、露骨に推進発言をしました。
 88年3月30日、漁協総会が開かれました。関西電力はこの時、海上調査のための漁業補償金として6億7000万円を提示しました。しかし、反対漁民は金に惑わされずに、「飯も喰わず夜も寝ず」という粘りづよい説得活動を行ない、それまで引き延ばしてきた事前調査を、漁民自らの手で廃案にする決議をしました。しかし、これで終わったわけではありません。県は、あの決議はおかしかったと聞いている、と認めようとしませんでした。みんなの総意ではないので、もう一度審議してほしい、などという署名も行なわれたり、一松町長自ら漁協の理事会に出席したり、総代会に乗り込んできたりで、推進町長のなりふり構わぬ行動がつづきました。
 その総会に代わる総代会で「今後はいっさい原発問題を取り上げない」と決定しました。そして町長自ら議会で原発断念を表明したのは、90年9月。町長の任期切れ直前でした。その後の選挙で、反原発の志賀町長が誕生しました。94年10月、二期目の反原発町長は1000票以上の大差で勝ち抜きました。この時の選挙は三つ巴選挙で、どの候補も原発ノーの立場をとり、争点がわかりにくいと言われていましたが、原発に頼らない町づくりをするために、ここできちっと勝たないとダメだという意識で、反原発の人たちは頑張ったといいます。
 「99%ダメでも1%の可能性があれば、最後まであきらめたらダメなのだ」ということがわかったーーと、現地で長い間反対してきた人が言うほど、和歌山の原発問題は、危機一髪というところで追い出すことができました。住民たちは、自分や子や孫の命をぎりぎりのところで守りきったのです。和歌山県の原発侯補地は、那智勝浦、古座、日置川、日高(小浦(おうら)と阿尾(あお)の二カ所)の四町五カ所の土地で、それはそのまま残っています。しかし、紀伊半島の自然を懐に、地域の経済を原発の交付金で膨張させることなく、自力で健全な経済の活性化をはかるために、地道な取り組みが行なわれています。

[日高町]
 面積46・40平方キロメートルの三分の二は山地。耕地面積は少ないが肥沃で、良質の米・野菜を生産する。リアス式の海岸線は絶好の釣り場で、観光や漁業も盛ん。人口7280人(1996年3月末現在)。

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KEY_WORD:日高_原発計画_: