[1997_10_13_13]反原発運動マップ_大阪府熊取町_核燃料工場と京大原子炉_末田一秀●自治労大阪府職労総務支部_p171(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_大阪府熊取町_核燃料工場と京大原子炉_末田一秀●自治労大阪府職労総務支部_p171

 ◎熊取一号炉の放射能汚染

 私が京大原子炉実験所の問題にかかわりを持ったのは、京大在学中の1978年。実験所に二号炉の出力計画があり、前年に設置許可が下りていて、大阪府原子炉問題審議会のゴーサインが出れば建設できるところまできていました。しかし、計画は住民に十分知らされず、しかも耐震設計を始め多くの問題点があることもわかりました。私たちは、地元にビラ入れに通い、沈黙していた実験所周辺の住民も反対の声をあげることになりました。「住民の会」発足の講演会では、驚いたことに一号炉により実験所排水口の泥が放射能で汚染されていることが暴露されたのです。
 そもそも、大阪府の南に位置する熊取町に京都大学の原子炉実験所があるのは、一号炉建設時にも強い反対運動があったからです。最初に計画された京都府の宇治市は大阪の水源に当たるという理由でつぶれ、以後、大阪府の高槻市、交野(かたの)市、四条畷(しじょうなわて)市と予定地は二転三転します。熊取町に決まったのは、61年。まだ日本の原子力研究の初期の頃で、当時の総評などが大学と反対住民の橋渡しをし、京大は「放射能はいっさい外に出さない」と約束し、大阪府に監視の審議会を置くことなどで、一号炉建設にこぎつけます。

[熊取町]
 面積17・19平方キロメートル、人口4万0386人(1996年3月末現在)。

総評
 日本労働組合総評議会の略称。1950年に労働組合の全国組織として結成された。89年、連合(日本労働組合総連合会)の発足に伴って解散。
KEY_WORD:熊取町_核燃料工場_: