[1997_10_13_12]反原発運動マップ_鳥取県青谷町_水際で食い止めた青谷原発計画_土井淑平●反原発新聞鳥取支局_p187-188(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_鳥取県青谷町_水際で食い止めた青谷原発計画_土井淑平●反原発新聞鳥取支局_p187-188

 鳥取県気高(けたか)郡青谷(あおや)町の長尾鼻という岬の付け根に中国電力が原発立地の青写真を持ち、計画を進めようとする前段の水面下の動きをつかんだのは、1981年の初頭であった。地元の『日本海新聞』のスッパ抜きなどを契機に、まず最初に立ち上がったのは気高郡連合婦人会(村上小枝会長)で、2月からわずか二カ月で青谷町と隣接の気高町で有権者の過半数を超える9000人余の署名を集めて、4月に中電と県に提出した。続いて、市民グループの活発な活動により、その一週間後に、県内各界各層の代表者が300人余の共同アピールを発表、中電・県知事・県会議長・青谷町長・気高町長に提出し、立地の阻止を訴えた。
 市民グループは青写真キャッチと同時に、まず鳥取市と倉吉市で、翌年に米子市という都市部を中心に、いわば立地現地を取り囲むように周辺部から旗上げしていったが、肝心の青谷町でも3月の時点で青谷原発設置反対の会(吉田通会長)が結成され、この計画を阻止する地元の軸となった。当時の県総評や地評・地区労も、こうした市民運動と住民運動に側面から協力・支援する態勢をとり、青谷原発立地阻止の運動はこの地にかつてない広範な環境保護の地域活動の焦点となった。
 この地元と全県的な反原発の運動と世論の高まりを背景に、青谷町議会は翌1982年3月、長尾鼻への原発立地に反村する意見書を全会一致で議決し、総理大臣・通産大臣・科学技術庁長官に提出した。
 青谷原発計画は、青写真キャッチの段階でのこうした市民・住民の素早い対応と全県的な運動の展開により、水際で阻止された。いったん公表・決定されてからでは手遅れだとの状況判断は正しかったし、この先手必勝の教訓は今後とも生かしたい。市民グループは、電力会社が長期的に立地をもくろむことも考慮し、毎年夏に青谷で合宿して運動を継続するとともに、89年1月には青写真の炉心部の土地数カ所を取得して共有化を実現した。この市民グループの不屈の活発な活動と相互の連携が、88年8月に発覚した人形峠周辺のウラン残土問題での素早い精力的な対応と残土撤去運動の持続力の源泉となっていることも付け加えておきたい。

[青谷町]
 面積67・92平方キロメートル、人口8794人(1996年3月末現在)。主な産業は農業で、梨と米が中心。原発計画地の長尾岬は観光名所の一つ。

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