[1997_10_13_03]反原発運動マップ_長崎県平戸市・大島村_平戸再処理工場計画と的山大島廃棄物処理場計画_山下弘文●エコロジカルプランニング研究所_p230-231(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_長崎県平戸市・大島村_平戸再処理工場計画と的山大島廃棄物処理場計画_山下弘文●エコロジカルプランニング研究所_p230-231

 長崎県平戸市に核燃料再処理工場をという動きは、1982年3月頃から始まった。誘致派は「平戸は過疎化が進行、現在は三万人。農漁業とも不振で再処理工場で浮揚できないかと勉強中だ。強い反対がなければ誘致したい」とし『明日の平戸の豊かさを求めて調査・研究報告』を市民に配布した。再処理工場の建設主体である日本原燃(当時は日本原燃サービス)は「海岸に面し専用港建設可能なこと。取得用地50万坪には人家が少なくて基盤が浅く且つ強固であること。地元が希望し誘致に熱意があること。二カ所の立地点を確保し年間処理量それぞれ600トン規模の工場を計画中」としていた。
 一方、労働者、市民は「反核・核燃料再処理工場誘致阻止平戸現地闘争本部」を設置、学習会を組織、この中から「核再処理工場を考える平戸市民の会」が結成された。反対派の動きは敏速で10月29日、平戸総合開発研究会会長が反対派漁民の鋭い追及の中で会長辞任を約束。こうした動きに山鹿平戸市長は11月12日、「将来にわたって誘致には反対する」と全面拒否を表明。平戸総合開発研究会も全会一致で会の解散を決定。平戸市議会も誘致反対決議を採択し、闘いは勝利した。
 平戸から約40分の海上に的山大島(あずちおおしま)があり、大島村に属するする離島、二神島がある。83年7月8日、西日本新聞は「低放射性廃棄物の陸上貯蔵、二神島が浮上、地元漁協も誘致に傾く」と報道。11月6日には長崎新聞が「村長ら事前調査へ、科学技術庁が二神島への立地の動き、正式申し入れに備え東海村なども見学」と報じたことから、一気に反対の動きが強まった。地元には「低レベル放射性廃棄物貯蔵施設設置反対現地闘争本部」が設置され、大島村で反対運動が盛り上がった。
 一方、村議会は議会内に調査特別委員会を設置、積極的に動き出した。94年2月14日、特別委員会は抜き打ちに「実証実験施設は貯蔵施設とは別」として実験場誘致を決議。これに激昂した住民は22日、「大島の自然を守る会」を結成した。住民は全戸が集まり「土地は貸さない、売らない」ことを決議。3月10日、守る会は反対村民集会を開催。300名が結集、デモ行進を行なった。その後、科学技術庁が説得に当たったが、住民は抗議集会に切り替え、激しい闘いが展開された。その結果、計画を阻止することができた。
 勝利の原因は、@候補地の噂が立った時点から闘いに立ち上がった、A組合が闘いの意義を認識し活発な運動を展開した、B闘争本部を核に横の組織の市民の会や守る会が急速に組織化された、C組合がでしゃばらなかった、要するに労働組合と住民がガツチリと手を結んだことにあった。さらに重要なことは「いかに真実をわかりやすく伝えるか」にあったと言える。

[平戸市]
 面積168・63平方キロメートル、人口2万5857人(1996年3月末現在)。江戸時代はオランダ商館が設けられたことで知られる。

[大島村]
 面積15・48平方キロメートル、人口1955人(1996年3月末現在)。基幹産菓は農漁業。耕地の半分は急傾斜地にある。
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