[1997_10_13_02]反原発運動マップ_鹿児島県天城町_徳之島MAーT計画とは_新元博文●奄美大島_p232-233(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_鹿児島県天城町_徳之島MAーT計画とは_新元博文●奄美大島_p232-233

 奄美の徳之島で、天城町秋利根神川上流域に核燃料再処理工場計画があることが明るみになったのは、1976年9月26日に地元の南海日々新聞第一面をデカデカ飾ったのが最初である。しかしこれより一カ月前に我々は、ある筋から密かに知らされていた。発見者は同じ徳之島出身者のY氏であり、神田の古書店で『徳之島MAーT計画調査』なるコピーの綴りを入手したと伝えてきた。新聞紙上で公表する前に、実際に調査がなされたのかどうかの確認を得る必要があり、一カ月もの時間を要したという。
 当時、奄美大島の宇検村内枝手久島(えだてくじま)に石油基地建設計画があり、住民運動が激しく闘われていて、宇検村反公害青年部を名のり、特に関東奄美青年部と呼応、連動して派手な闘いの最中であった。この両青年部有志で全国奄美青年同盟をつくる動きが起き、筆者はその準備機関誌として『逆流」を発行、5000部を持って逸早く徳之島入りし、島民に知らせると同時に、『MA−T計画調査』を行なった日本工業立地センターの調査の内実を知るための調査にかかった。その結果判明したことは、調査が行なわれたのは神田町長時代であり、役場の窓口となったのはT職員で、秩父セメントをはじめ3十数社が来たこと、1般民にはまったく知らされぬままに人夫として地元民が働かされ、T氏の自宅が海辺にあったのを幸いに、波浪計測機はT氏宅にあったこともわかった。
 日本工業立地センター名で『MAーT計画調査』は発行されているが、実際は佐藤工業が三十数社に依頼してあった。関東青年部の調査によると佐藤工業の所在地は東京駅の八重洲口近くのビルの一室で、机三つに電話一本というペーパーカンパニーである。枝手久島への石油基地反対のための「奄美の自然を守る郡民会議」なる組織が直ちに徳之島再処理工場計画に反対して運動を展開したが、徳之島にある天城町はもちろん、伊仙町、徳之島町の三町議会も反対決議をし、中央陳情もなされた。その頃には原船むつの母港問題があり、宇検村の隣りにある瀬戸内町がこの誘致運動を展開をしはじめたために大いにハラハラさせられたのであるが、結果は石油基地も再処理工場も原船むつも、いつの間にかすべては青森県が引き受けることになった。
 とはいえ、『MAーT計画調査』にあった通りに港も道路も建設されてきているので、今後も要注意だ。沖縄県西表島への再処理工場計画も含め、それがまったく陽動作戦だけのものだったとはいいきれないものがある。技手久島への石油基地建設計画は84年10月に東亜燃料工業が白紙撤回を公表したけれども、奄美がいつ核のゴミ捨て場にされかねない。怪しい計画が瀬戸内町に起きたこともあるので、油断大敵である。

[天城町]
 面積80・34平方キロメートル、人口7544人(1996年3月末現在)。MA−T計画では、同町三京地区が再処理工場の予定地とされていた。

日本工業立地センター
 現在は日本立地センター。工業立地、エネルギー関連施設の立地などの調査・広報事業を行なっている財団法人。

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