[1933_03_04_01]今後は大した海嘯はなかろう 帝大地震学教授 今村明恒博士談(東京朝日新聞1933年3月4日)
 
※以下は地震関連の見出しと重要と思われる部分をテキスト化したものである

○三陸罹災地区の免租と復旧費 政府調査をいそぐ
○今後は大した海嘯はなかろう 帝大地震学教授 今村明恒博士談
 最大振幅が十二センチメートルで先年の伊豆地震にひし六センチだけ少ないが、震源地との距離の関係だから距離を勘定にいれると??伯仲といってよい、しかし地形変化は伊豆の時は丹那断層が生じただけであったが今度は海底だから地震は伊豆の場合より数倍大きかろう、元来海底は地盤の性質上?く変動を起し易く従って海嘯も起こり易い、今回の海嘯は三陸方面で高さ十尺程度とのことだが明治二十九年六月十五日の三陸大海嘯の時は岩手県吉浜で八十尺、同県綾里で七十五尺だった、今度のは翌二十年八月五日のそれと位置も??似ている、当時宮城県石巻で十二尺同県女川で十尺、吉浜八尺、綾里九尺だった、外側地震帯(環太平洋地震帯の一部)の地塊運動だが??三陸海岸はのこぎりの歯のようになっており震源の方に口を向けているから海嘯の常習地の観がある、海嘯は沖では?りないのだが口の狭く浅くなる陸地に侵入すると高さが数倍、数十倍になるものだがその外側地震帯の三陸方面の活動は明治二十四、五年頃で納まっていた、唯北海道根室沖の大地震(明治二十七年)以来最近同方面に強震相次いでおきていたが金華山沖方面は静かだったので一時に大きな地塊運動がおこったもので今後被害を起す程度の海嘯はなかろう

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