[1925_05_24_01]山陰大地震に省みよ 東京駅頭に泣き崩れる豊岡高女の生徒七十(東京朝日新聞1925年5月24日)
 
※以下は地震関連の見出しと重要と思われる部分をテキスト化したものである

○山陰大地震に省みよ
 山陰地方の大地震が、その震害区域の比較的少なかりしは、不幸中の幸いであったが、被害地方の町村に対しては、関東大震災の災害の跡未だ鮮やかなる、特に深甚なる同情の念に堪えないのである。しかして伝える所必ずしも明らかではないが、豊岡城崎等の被害が地震そのものよりも、これによって起こった火災によるもの甚だ大なりしが如きは、同一経験を有する東京横浜当の市民が、再び二年前を省みてははだはだに?を生ずる思いがあるのである。しかしながらこの事は東京横浜の市民のみならず、我が国民が均しく考えなければならぬ問題であるが、吾人はこの際今一度東京横浜市民が特に、是に注意を集め、改めて復興の事に努力せんことを切望するのである。帝都復興の事案が、一通りならざる困難なるべきは、初めより期せらえた所であるが、今日の状態を以ってしては、余りに進行の度合が遅々としていることを??させざるを得ぬのである。これには政略的立場からして、当初の計画を理由なく変更し、復興官庁を縮小し、その性質上というよりは、その現状よりして不適当なること明らかなる東京市に多くの責務と負担を負わせた政友会の責任をも回想せしむるのであるが、それにしても政府も政?も、政権の政争とに没頭して、かくの如き大事業に力を注ぐこと薄く、都民国民市民にこの大事業を理解せしめ、これに努力せしむる所無く、帝都の生活を未曽有の不安に?らしめているのである。思想悪化もこれより生じ、失業者の洪水もこれより生ずるのである。
 東京市民は震災後既に幾度もの火災を経験したが、その不安なる生活を続けながらなお帝都復興の基礎である??整理の進行に力を貸すこと未だ必ずしも十分でない。吾人は関東地方に再び大地震が襲来すべしと予言するのではないが、山陰地方の大地震の報を聞いて、帝都復興の現状を見て、これを他事ならずと思い、市民と当局の猛省を促すのである。
○東京駅頭に泣き崩れる豊岡高女の生徒七十 見学に来たばかりで郷里の悲報に遭い 抱き合って帰郷す 車窓に泣きすがる豊岡高女生

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