[1923_09_03_02]東京との通信は絶望 本社の飛行機は東京全市の大混乱を視察速報のため出発した (大阪朝日新聞1923年9月3日) |
※以下は地震関連の見出しと重要と思われる部分をテキスト化したものである ○東京との通信は絶望 本社の飛行機は東京全市の大混乱を視察速報のため出発した 一機は浜松から二機は大阪から 【船橋無線電信所発、佐世保海軍無線電信所着】東京船橋間の通信連絡は勿論状況視察のため二回にわたって派遣した兵員がまだ帰らないので被害状況は不明であるが、被害者の談によれば第一震の際家屋崩壊せしため随所に火災起り 一、深川本所方面は全焼せるものの如く死屍累々山を成し 二、三越より発火せる火は宮城に及び警視庁、帝劇等全焼 三、海軍省の応答無きを見れば同所も危きが如し 四、火災今尚ほ猛烈にして既に千住より品川に及び爆発頻出し紅蓮の炎本所(船橋無線電信所)より見ゆ 五、震動今なお連続し人々きょうきょうたり 六、傍受するところによれば横浜方面も全滅せるが如し 七、諸所(しょしょ)の鉄橋落ち交通杜絶す(佐世保電話)帝国ホテル、白木屋、松坂屋、三越、松屋各呉服店等の大建物は全部焼失した(長野電話) ○摂政宮御無事 自動車で御避難 田母沢の御様子は不明 ○震災義金募集 ○焼失した主なる諸官庁 外務、大蔵、文部省焼く ○東京帝大も焼失 宮城の火災は漏電から ○二十万の横浜市民 既に飢餓に瀕す ○飛行機にて記者東京へ 日本航空阿部後藤飛行士の発奮 府市の救援船にてもまた出発す ○浜松より大場氏飛行す 東京朝日と連絡をとる ○東京朝日も遂に類焼 二新聞を除く各社の災厄 ○海上の横浜避難民 千三百名は伊太利丸で ○横須賀軍港救を求む 病院其他全滅医薬に困る ○呉から軍艦を急派 「天龍」と假屋の第四駆逐艦 谷風、江嵐、扶桑、平戸も続発 ○佐世保からも軍艦出動 横須賀罹災者の救助に ○陸軍飛行機も出動す 師団参謀同乗し東京と連絡 |
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