[2024_01_19_04]<ふくしま作業員日誌・50歳男性>衝撃だった能登半島地震(東京新聞2024年1月19日)
 
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<ふくしま作業員日誌・50歳男性>衝撃だった能登半島地震

 12:00
 年末年始は、年明けの休みが長くて久しぶりに家族とゆっくりできた。いつもは年末の休みの方が長いから、結局、東京などの現場を手伝うことになったりして休みが短かった。
 元日の午後4時10分に起きた能登半島地震は衝撃的だった。津波警報を受け、NHKの女性アナウンサーが「今すぐ避難!今すぐ避難!東日本大震災を思い出してください!」と、鬼気迫る強い口調で訴えるのを聞いて、幼い子どもたちも怖いことが起きていると分かったみたいだった。
 ようやくコロナも明け、本来なら元日のタ方は、初詣から帰って家族で楽しくだんらんしているころ。
 石川県輪島市の写真を見たら、建物が基礎から丸ごと倒れ、基礎についているはずのくいも外れていた。
 地震でこんなふうに倒れるんだと驚いた。
 原発事故後、他の原発も対策が取られたと思うけれど、震度7を記録した志賀町の志賀原発の運転が止まっていてよかった。
 原発事故が起きた13年前を思い出した。次々と原子炉建屋が水素爆発する様子をテレビで見て、日本が消滅してしまうのではないかと思った。
 消防や自衛隊員も駆けつけ、冷却作業をする様子を見ながら、自分も何か貢献したいと思った。そんなとき、会社で作業員の募集があり手を挙げた。
 能登での仮設住宅設置の仕事も入ってきている。ただ、現地でどこに宿を確保して通うかなど、冷静に自分自身の安全を守れないと他の人は守れない。同僚に能登に行きたいかと聞くと、手当や条件を聞くやつもいて、意識が違うのを感じた。
 原発事故直後に福島に駆けつけた人たちは助け合って、原発を何とかしようと必死だった。あの一体感は忘れられない。
 自分一人なら、すぐにでも能登に応援に行きたい。
 でも福島での仕事もあるし、会社のこともある。
 ふと振り返ると、この13年間ずっと俺は福島を何とかしようと考えてきたんだなと思った。(聞き手・片山夏子)
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