[2024_01_27_02]能登半島地震 未然に防いだ原発事故=金平茂紀(毎日新聞2024年1月27日)
 
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能登半島地震 未然に防いだ原発事故=金平茂紀

 17:00
 ものごとには優先順位というものがある。僕らはそれを往々にして間違える。自戒を込めて言うのだが、あの時にあの判断をもっと柔軟に切り替えていたならば……、と思うことがある。
 よく語られるのは、軍の無謀な作戦遂行の典型と言われるインパール作戦だ。軍隊では(特に旧日本軍においては)「上」の命令は絶対だった(今もおんなじかな)。バカな「上」に従うと悲惨な結末に至るというのが、冷徹な現実だ。

 能登半島地震後、マスメディアはさまざまな情報を公共的な価値があると信じて報じてきた。何よりも、被災して困難な状態の中に放り出された住民の命と安全に関する情報は枢要だ。避難先や食料・水・医療に関する情報。さらにどこにいけば携帯電話が通じるのかといった情報インフラに関する情報。けれど同時に、もう少し長いレンジ(範囲)で力点をおいて考えるべきこと、人々が認識を共有すべきことがあるのではないか。
 それは、原子力発電所を今後どうするのかという根源的な問題だ。言うまでもないが、僕らは13年前、福島第1原発の炉心溶融事故を経験している。現在に至るまでその被害は続いている。日本の原発の歴史を多少とも知っている人であれば、最大震度7を記録した石川県志賀町にある志賀原発が「稼働していなくて本当によかった」と実感したのではないか。
 そして地震による被害が極めて甚大な珠洲市には、1970年代から大規模原発建設計画があり、着工寸前の局面まで電力会社によりさまざまな工作が行われていた。数の上では少数派だった住民たちが命がけの原発建設反対運動を展開し、計画は2003年に白紙撤回された。だから珠洲には原発がない。
 「珠洲に原発があったらとんでもない事態になっていた」。誇示するでもなく、静かに語るかつて反対運動に関わった人たちの声を、僕は現地で聞いた。彼ら彼女らも被災しており、恩讐(おんしゅう)を越えて助け合っていた。胸が詰まる思いがした。これらの人々が声を上げ続けたから、珠洲原発事故は起こらずに済んだ。
 珠洲の反対運動については、過去にテレビや新聞が(それこそ「上」の判断をかいくぐって)いくつかの記事、番組を世に出してきた。
 1990年のNHKのドキュメンタリー番組「原発立地はこうして進む〜奥能登・土地攻防戦〜」を見る機会があった。心の底から拍手を送りたくなった。こういう仲間がこの世の中にはいる。(テレビ報道記者)
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