[2024_02_02_03]能登震央至近の原発計画、止めた住職に感謝の電話 当時の反対運動(毎日新聞2024年2月2日)
 
参照元
能登震央至近の原発計画、止めた住職に感謝の電話 当時の反対運動

 08:00
 能登半島地震で一時孤立状態となった、石川県珠洲市の日本海側に位置する高屋(たかや)地区。現在も、所々ぬかるんだ細い山道だけが外の地域とつながる唯一のルートで、雪や雨が降ると往来が困難になるような状態だ。地震前は100人ほどの住民がいたが、高屋に残ることを決めた約10人以外は各地の2次避難所などに身を寄せている。そのうちの一人、同県加賀市のホテルに2次避難している男性の元に、「私たちの命を救ってくれてありがとう」という趣旨の電話が各地から多数かかってきているという。
 男性は、高屋にある円龍寺の住職、塚本真如(まこと)さん(78)。寄せられる感謝の言葉に「大それた仕事をしたんかな」と、かつての「運動」を振り返った。
 1975年の珠洲市議会による原発誘致の決議を受け、関西、中部、北陸の電力3社が共同で、能登半島北端の同市高屋・寺家(じけ)両地区に珠洲原子力発電所の立地を計画した。しかし、住民の強い反対で計画は進まず、電力需要の低迷などを理由に2003年に計画は「凍結」された。
 この反対運動の中心にいたのが塚本さんだった。高屋は今回の震央の至近。大規模な地盤の隆起が起き、港から漁船を出せない状態にもなった。もし珠洲原発が建設されていたら、過酷事故が起きていただろうとの思いから、電話が寄せられている。
 反対運動の間には、4時間おきに無言電話が来るなどの嫌がらせも約10年間ほど繰り返されたという。当初は地区全体が計画に反対していたが、次第に「消極的賛成派」が増えていった。「(計画凍結までの判断が)あと1年長かったら(反対運動は)つぶれていた」。ぎりぎりで勝ち取った「成果」だった。
 今回の地震では、塚本さんの自宅は全壊した。妻の詠子さんは足に大けがをしたが、地区が孤立し、1月3日に自衛隊ヘリが救出してくれるまで、病院に向かうことすらできなかった。「原発ができていたら、大変なことになっていたと思いますね」 地震から1カ月がたった地区の被災状況と、かつての珠洲原発の立地計画を巡る問題について映像取材した。【後藤由耶】

[映像]
KEY_WORD:能登2024-珠洲原発(2003年凍結)_:NOTOHANTO-2024_:珠洲原発_: