[2024_01_26_03]地震から5分で全員が高台に 津波被害も犠牲者なし、訓練時の合言葉は…(中日新聞2024年1月26日)
 
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地震から5分で全員が高台に 津波被害も犠牲者なし、訓練時の合言葉は…

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 能登半島地震による津波に襲われた石川県珠洲市では、沿岸部の家屋や漁業設備が壊滅的な被害に見舞われた一方、犠牲者が出なかった地区や施設がある。混乱した状況で速やかに避難できたのは、日ごろから続けてきた訓練の成果。「条件反射で逃げられた」と振り返る。(鈴木沙弥、鈴木みのり)
 海沿いに並ぶ家々の多くは1階部分がつぶれ、道路はうっすらと泥に覆われている。衣類の入ったままのたんすや漁具が散乱し、押し流されたとみられる車がめり込んだ民家が津波の痕跡を物語る。珠洲市三崎町寺家(じけ)の下出(しもで)地区は、高さ数メートルの津波が襲ったが、帰省中や初詣客も含め約180人全員が無事だった。
 普段は35戸90人余りが暮らす地区では毎年1〜2回、津波からの避難や火災を想定した防災訓練を開いてきた。区長の出村正広さん(76)は「東日本大震災を機に、改めて津波への意識が高まった」と話す。合言葉は「いざとなったら集会所」だった。
 実際、元日の地震発生時は、住民は荷物を持たずに自発的に避難を開始。近所の人に声をかけたり、若者が足の悪い女性を背負ったりして、標高23メートルにある下出集会所を目指して坂道を上った。揺れから5分余り。住民ら約180人が集会所付近に集まってきた。「潮がざあっと引いた時点で、ほぼ全員が高台にそろっていた」と出村さん。数分後、陸上を遡上(そじょう)した津波が地区を襲った。
 当時は自宅にいて、高台に避難したという70代男性は「揺れてから津波が来るまで、10分もなかった」と思い起こす。別の男性(63)は地区内の別の場所にいたが、自宅にいた妻子と集会所で合流できた。「区長が丁寧に訓練を開いてくれていた。『津波が来るかも』という認識はあったが、まさか本当に来るとは。パニックになりそうでも条件反射で逃げられたので、やってきて良かった」と力を込めた。
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