【記事84720】[2019/6/20 13:55]「新潟地震思い出した」 震度4の佐渡 施設開放遅れに不満も(新潟日報2019年6月20日)
 
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[2019/6/20 13:55]「新潟地震思い出した」 震度4の佐渡 施設開放遅れに不満も

 18日夜の新潟・山形地震で、新潟県佐渡市でも震度4を記録し、津波注意報が出された。1964年の新潟地震で津波被害を受けた両津地区をはじめ、避難者は市が把握するだけで683人にのぼり、津波や余震に不安な夜を過ごした。一方、市の避難指示や避難施設の開放が遅れ、対応に不満の声も上がった。
 津波注意報は地震発生直後の午後10時24分に気象庁が発表。市の緊急情報伝達システムの戸別受信機でも、ただちに伝えられた。津波到達予想時刻は島内の最も早い場所で同10時半とされた。
 両津湾に面した両津地区では、新潟地震で家屋の浸水約400戸など被害が集中した。今回の地震で「新潟地震を思い出した」という高齢の避難者が目立った。
 津波避難ビルに指定されている両津支所(両津湊)では、同10時半ごろから約80人が避難。2階ロビーでテレビを心配そうに見つめたり、小さな子どもを畳の部屋で寝かしつけたりしていた。
 地震の揺れで目を覚ましたという両津湊の女性(88)は「1人暮らしで足も悪いので、近所の人の車に乗せてもらった。被害がなくて一安心だけど、また余震や津波がないか心配だ」と話した。
 市の避難指示が出たのは津波注意報から46分もたった午後11時10分と遅く、指示を待たずに避難した人もいた。高台の両津文化会館(梅津)に避難した春日の男性(86)は「テレビで津波が来ると言っていたので、とにかく避難しようと思った」と振り返った。
 一方、市は「避難所にかかわらず近くの高台に逃げてもらう」(防災管財課)とする津波対応の方針により、滞在を想定した指定避難所は開設しなかった。住民らが押しかけた後、施設の管理者が応急的に開放したケースもあった。
 緊急避難場所にも指定されている相川地区の相川中(相川下戸村)では、被害確認のため駆け付けた校長が体育館を開けたのが午後11時半すぎ。それまで周囲の道路に車列ができていたという。約1時間待った相川下戸町の男性(70)は「30台ぐらいは路肩に並んでいた。なぜ開けてくれないのか驚いた」とけげんな顔をした。
 結局、19日午前1時すぎの注意報解除まで15人ほどがとどまった。同所の病院職員(48)は「何回も帰ろうと思ったけど、情報が入ってこない。余震もあり安心できない」と家族と身を寄せ合っていた。
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