[2023_07_28_06]「国が私達から奪った人権を取り戻してください」 「私達がもう一度ふつうに安心して暮らせるよう助けてください」 国・東京電力の責任を問う 7/27福島原発被害東京訴訟第1陣控訴審 鴨下美和さんの意見陳述(たんぽぽ2023年7月28日)
 
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「国が私達から奪った人権を取り戻してください」 「私達がもう一度ふつうに安心して暮らせるよう助けてください」 国・東京電力の責任を問う 7/27福島原発被害東京訴訟第1陣控訴審 鴨下美和さんの意見陳述

 本日は意見陳述の貴重な機会を与えていただき、御礼を申し上げます。
 私達夫婦は昨年、いわきにあった自宅を手放すことを決めました。
 帰りたいという想いを捨てきれず、東京に避難してからもずっと、ローンと固定資産税を払い続けてきた家です。時折戻っては使い捨てワイパーで床を拭き、放射線の測定をしてきました。しかし室内からは、何度掃除をしても、何年経っても、行くたびにセシウムが検出され、落胆しました。
 あるじの居ない家は荒れます。避難生活が長引き、家はいつしか雨が漏り、壁や柱が腐り、どんどん傷んでいきました。明るくて大好きだった私たちの家が、朽ちていく姿に耐えきれず、住んでくれる人に委ねようと思ったのです。でも、だからと言って、帰りたいという想いが、消えたわけではありません。
 2011年3月12日の明け方。私は8歳と3歳の息子たち達を揺り起こして車に乗せ、夫と82歳の父とともに家を離れました。
 激しい余震の中、ろうそくの灯りでの荷造りは全く不十分でしたが、それでも、北風が吹く前に、一刻も早く原発から距離をとらねば、という気持ちがありました。あの日、日の出前の、薄暗がりの中を、東京に向けて出発して以来、12年、今も私達は避難を続けています。
 私達夫婦は、かつて遺伝子の研究で放射性物質を扱ったこともあり、その危険性や管理の厳しさを知っていました。
 ですから、いわきに住むことを決めてからは、原発を常に意識し、2か月に一度、回覧板で届く「アトムふくしま」には必ず目を通していました。
 そこには、原発の周辺地域に与える放射線の影響が年間0.05ミリシーベルト以下になるように線量目標値が設けられており、実際には、0.001ミリシーベルト以下となっているとも書かれていました。
 しかし原発事故以降、そんな数値はまるでなかったかのように消されてしまいました。いわきの空間線量は同年3月には23マイクロシーベルト/hと報道されました。
 これは年間に換算すれば200ミリシーベルトを超える夥しい汚染で、線量目標値の約4千倍にあたります。
 それから12年。今でもいわきの自宅は、線量目標値をはるかに超える酷い汚染のままです。
 それほどの汚染から避難したにもかかわらず、避難指示区域外とされた私達の避難生活は、困難を極めました。
 「いわきに放射能は無い。帰れ」、「金が目的か、浅ましい」などと怒鳴られたことも―度や二度ではありません。
 病院では罹災証明書がないことで診療を断られたこともあります。選挙も簡単にはできません。支援を名乗り出たボランティアの方も、私がいわきから来たと知った途端に離れていきました。時には、まるでニセ避難者の様に罵られ、週刊誌にまで悪意ある記事を書かれました。子どもたちもいじめに遭い、生活が破壊されていきました。
 ―方、福島に残った仲間たちからは、
「生徒たちに、白血病の子や、甲状腺の治療を受けている子がいる」
「腎臓が悪くなり、この先部活が続けられるかわからないと嘆く子がいる」
「まわりに紫斑病の子が多く、入院した子もいる」
「子どもたちから病気の相談を受けることが増えた」
などという声を聞きます。
 そして皆、一様に「避難しているあなたにしか言えない」と言うのです。病気の原因は医師でもわからないと聞きます。でも、福島では言えないけど、避難している私には言える。このことこそが、原発事故の被害ではないでしようか。
 そんな友人たちの声を聞くたびに、「こっちにおいでよ」という言葉を飲み込みます。避難して欲しいけれど、避難生活は苦しすぎるからです。
 被曝の危険がもうなくて、安全だと思うなら、私は迷わず彼女たちの元へ帰っています。
 でも、被曝の害は確率です。それが小さい数値だったとしても、私や家族に起これば、私にとっての確率は1です。
 また累積した被曝の被害は、今日発症していなくても明日現れるかもしれません。帰りたい思いとの絶望的な葛藤は、今も続いています。
 分離避難の寂しさに、布団に潜って声を殺して泣いていた次男。今は諦めたように寂しく笑う夫。そして、親にさえ避難者いじめの苦しみを伝えられなかった長男は、先月、この場の意見陳述で初めて涙を流しました。当たり前だった笑顔が奪われた原発事故。せめて死んだら、あの山の共同墓地に還りたい。思い出すのは今もいわきの山々です。
 裁判官の皆さま、どうか被告国を断罪することで、国がこれまで行ってきた私達への差別や誤解を取り除いてください。
 区域外避難者は、ないものを恐れ感情的に避難した人、というような忌まわしい誤解を取り去り、国が私達から奪った人権を取り戻してください。
 私達がもう一度、ふつうに安心して暮らせるよう、助けてください。
 ありがとうございました。

※鴨下美和さんがお話しする学習会があります、ご参加を!

 7/29(土)東海第二原発の再稼働を止めるためプレ学習会(第1回)
 2011年の東電福島第一原発の大惨事を東海第二でくり返すな!

 日 時:7月29日(土)14時より17時
 お 話:鴨下美和さん(福島原発被害東京訴訟原告)
     「原告が語る放射能被害と理不尽」
     山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
     「東海第二原発(110万kw)の大きな危険と止めるための諸方法」
 会 場:「スペースたんぽぽ」  ◇予約の必要はありません
主 催:「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」TEL 070-6650-5549
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