[2023_01_19_06]視標「東電元会長ら再び無罪」 細部に固執、本質見失う 刑事で原発事故解明は進む ジャーナリスト 添田孝史(静岡新聞2023年1月19日)
 
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視標「東電元会長ら再び無罪」 細部に固執、本質見失う 刑事で原発事故解明は進む ジャーナリスト 添田孝史

 28年前の1月17日、阪神大震災が発生した。神戸の直下で大地震が起こり得ることを科学者たちは予測していたが、地元自治体の対策は不十分で、住民にも危険性は伝わっていなかった。
 その反省から政府が設けた地震調査研究推進本部が、2002年に「福島県沖でも大津波を引き起こすマグニチュード(M)8クラスの地震が起きる可能性がある」(長期評価)と公表した。
 東京電力は、長期評価を知っていたにもかかわらず対策をとらなかった。その刑事責任を問われたのが、今回の裁判だ。  東京高裁は、東電の勝俣恒久元会長ら3人を再び無罪とした18日の控訴審判決で「長期評価に、原発を止めるほどの確実性はなかった」という一審の判断を踏襲した。
 株主代表訴訟の東京地裁判決(22年7月)は、長期評価について「相応の科学的な信頼性があった」、東電や国に損害賠償を求めた集団訴訟の最高裁判決(同年6月)は「合理性を有する試算」と見ていたので、それとは相反する判断だ。
 その違いは、刑事裁判が「木を見て森を見ず」の状態に陥ったためだと思われる。長期評価の細かな不確実な点を重視し、信頼性がないと断じてしまっている。
 確かに、長期評価は地震の位置や、地震発生の確率を推定する段階では、不確実なところもある。しかし「そこで起こるかもしれない」という予測の核心を否定することが難しいのは、東電の技術者も認めていた。「対策は不可避」という文書も残っている。10万年に1回の地震まで想定するルールがある原発では、長期評価を無視することはできなかったのだ。
 刑事裁判は民事裁判より立証のハードルが高いとされるが、長期評価の細かな瑕疵に目を奪われ、厳密さを過度に求めたために、東電旧経営陣の責任の本質を見失ったように見える。  一方、株主代表訴訟の判決は「地震や津波は、本質的に複雑系の問題であって、理論的に完全な予測をすることは原理的に不可能」という見方をしている。科学の成果の捉え方として、こちらの方が合理的だと思う。
 事故を防ぐ手段についても、一審と同様、原発の停止以外は認めなかった。事故前、長期評価を基に東海第2原発が、重要機器に水が入らないようにするなど複数の手段を組み合わせて運転を続けながら対策を強化していた事実は、あまりにも軽視されている。
 ただし、無罪になったものの、刑事裁判が果たした役割はとても大きかった。
 東電社員だけでなく、規制側の職員、研究者らが証言し、東電と他の電力会社がやりとりしていた電子メール、非公開会合の議事録なども大量に公開された。これらを読み解くことで、なぜ事故を防げなかったのか、組織の動きが見えた。それは民事裁判の判断に大きな影響を与えた。
 東京地検は、勝俣元会長らを2度不起訴にしたが、市民による東京第5検察審査会がそれを2度とも「起訴すべきだ」とひっくり返し、公開の刑事裁判が始まった。もし不起訴のまま終わっていれば、事故の解明はとても困難だっただろう。
 巨大組織が起こす事故を誰が解明し、再発を防ぐための資料をどう集めるのか、再考が必要なことも、今回の刑事裁判は示している。

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 そえだ・たかし 1964年松江市生まれ。朝日新聞記者を経てフリーに。著書に「東電原発事故 10年で明らかになったこと」など。
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