[2023_09_25_03]「ALPS処理汚染水」放出差し止め訴訟の切実な思い 原告側の海渡雄一弁護士に聞く、提訴の狙いと意義 岡田広行 (東洋経済2023年9月25日)
 
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「ALPS処理汚染水」放出差し止め訴訟の切実な思い 原告側の海渡雄一弁護士に聞く、提訴の狙いと意義 岡田広行

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 東京電力ホールディングスは8月24日、福島第一原子力発電所にたまっている「ALPS」(多核種除去設備)で処理した水の海洋放出に踏み切った。これに対し、海洋放出に反対する漁業者や一般市民約150人が9月8日、福島地方裁判所に海洋放出の差し止めや国による認可処分の取り消しを求めて提訴した。原告弁護団共同代表の海渡雄一弁護士に、訴訟の意義や見通しについて聞いた。

――提訴の狙いについて教えて下さい。

 原告である漁業者や市民は福島第一原発の事故で大変な被害を被った。そのうえに今回の「ALPS処理汚染水」の海洋放出によって、「二重の被害」を受けることになる。しかも今回の被害は国や東電の故意によるもので、新たな加害行為だ。訴状では「二重の加害による権利侵害は絶対に容認できないとの怒りを持って提訴する」と書いた。
 国は、ALPS処理汚染水を薄めて基準値以下にすれば海に流してもいいと主張しているが、間違った考え方だ。そもそも危険性のあるものは環境から隔離しておくことが安全対策の基本だ。そうした間違った行為を何としてでもやめさせたいと考えて、差し止め訴訟に踏み切った。

 第2次提訴で原告の数は大幅増へ

――提訴までのいきさつは。

 私は東電の刑事裁判や株主代表訴訟、福島県飯舘村の集団ADRなどを通じ、福島の方々とたくさんの縁がある。政府が方針を決定した2年ほど前から、海洋放出を何とか止めたいという多くの市民の声を聞いてきた。ただし、直接の被害を受ける漁業者が原告に加わらずに、一般市民だけで裁判を戦い抜くことは困難だろうと内心では考えていた。そこに今回、原告になりたいという漁業者が出てきたことで、提訴の条件が整った。
 海洋放出実施前日の8月23日に記者会見をし、9月8日に提訴に踏み切った。第1次提訴の原告は約150人。10月末頃をメドに第2次提訴を行うべく、10月10日を締切日として原告の追加募集をしている。今後、原告の数は大幅に増えると見ている。

――原告のうち、漁業者の事情はどのようなものでしょうか。

 国や東電は、「関係者の理解なしに海洋放出はしない」という福島県漁業協同組合連合会との約束を破った。このことの責任は重い。原告にならなかった漁業者も、心の内では提訴した漁業者を応援していると思う。
 政府はだぶついた水産物の買い取りなどさまざまな対策によって漁業者を守り抜くなどとPR(広報)しているが、漁業者にとっては、漁をして取った魚を消費者においしく食べてもらうことが喜びの源だ。売れなかったものを政府に買い取ってもらうことは彼らの本意ではない。

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 かいど・ゆういち/1955年生まれ。弁護士。もんじゅ訴訟、六ヶ所村核燃料サイクル施設訴訟、各地の原子力発電所の差し止め請求訴訟など原子力に関する多くの裁判を担当。2010年4月〜2012年5月まで日本弁護士連合会事務総長を務めた(撮影:ヒダキトモコ)

――原告に名を連ねた一般市民の思いは。

 東電は原発事故によって、大量の放射性物質を環境中に拡散させた。そのうえ今回は、ほかにも対策があるにもかかわらず、水で薄めているとはいえ、海に放射性物質を拡散させるという間違ったやり方をした。
 少なくとも以前より放射性物質が増えることは確かであり、それを市民がいやだと考えるのは当たり前だ。平穏生活権という人格権の一部が侵害されていることは事実であり、そのことを、裁判を通じて訴えていく。

 なぜ「ALPS処理汚染水」と呼ぶのか

――国や東電は、ALPSという設備を通じてトリチウムなどを除く大多数の放射性核種を取り除くことができるとして「処理水」という言葉を用いています。これに対して今回の裁判で原告は「ALPS処理汚染水」と呼んでいます。SNS上では、汚染水という言葉を使う人に対して、言葉狩りや攻撃的な言動も目立ちます。

 炉心溶融した核燃料を冷やす過程で汚染水が発生し、建屋に流入した地下水と混じり合ってその量が増えていった。それをALPSという装置で処理したのが「ALPS処理汚染水」。処理しても汚染物質が完全になくなっているわけではない。問題は、このALPS処理汚染水の中にセシウム134やセシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素129や炭素14などの放射性物質がどれだけ残っているかが正確には明らかでないことだ。
 訴状で述べたように、太平洋諸国連合の専門家パネルの見解によれば、東電の測定方法には偏りがあり、1000基を超すタンクに貯められた水に関して、正確なことは分かっていない。特に早い時期にALPS処理された水には高い濃度の放射性物質が残っていて、タンクの底には泥状の物質がたまっているとも言われている。裁判では、このALPS処理された汚染水の実態が何であるかについてまず明らかにさせたい。

――水の同位体であるトリチウム(三重水素)はALPSでは除去できず、トリチウムを含んだまま、海水で希釈して海洋に放出されます。このトリチウムの健康影響について、国や東電はきわめて小さいという趣旨の説明をしています。

 トリチウムの安全性については、科学者の間でも意見が分かれている。訴状では、ある放射線学者がトリチウムの安全性について書かれた世界中の論文を収集して分析したレポートの一部を引用した。それによれば、大半の論文ではトリチウムが内部被曝をもたらすとしており、少なくとも安全であるとは確認できていないと言える。

――国や東電は、国際原子力機関(IAEA)が今年7月に発表した包括報告書をよりどころにして海洋放出に踏み切りました。同報告書では海洋放出について「国際的な安全基準に合致し、人や環境への影響は無視できるほど小さい」とも述べられています。

 IAEAは日本政府の要請を受けて同報告書を作成したが、序文でIAEAのグロッシ事務局長は海洋放出について、あくまで「日本政府の決定である」としたうえで、「推奨するものでも支持するものでもない」と述べている。つまり、同報告書が海洋放出にお墨付きを与えるものではないことは明らかだ。

――訴状では「海洋放出はロンドン条約の1996年議定書に違反する」と主張しています。どういうことでしょうか。

 同議定書によれば、放射性廃棄物の海洋投棄は全面的に禁止されている。ところが、日本政府は同議定書によって禁止されているのは、船舶や海洋構築物からの投棄であり、今回の放出はそれに該当しないとしている。
 しかし、今回、東電は海洋放出のために1キロメートルに及ぶ海底トンネルを建設している。これが海洋構築物に当たらないというのは、条約の趣旨を無視した主張だ。

 提訴を通じ、まっとうな議論を展開

――今後の裁判の見通しは。

 裁判に踏み切ることができて本当に良かったと思っている。
 これまで専門家や市民グループが海洋放出の代替案を示して政府や東電に見直しを求めるなど、理性的な議論をしてきた。太平洋の島嶼国は独立の専門家パネルに科学的な評価を託した。韓国でも前政権時に、政府系の4つの研究機関が共同で海洋放出の問題性についてレポートをまとめていると聞いている。
 ただ最近の日本では、海洋放出に反対の人は意見を述べた途端に、「お前の言うことは間違いだ」「中国を利するだけだ」という罵詈雑言を浴びせられている。裁判を通じ、まともな議論の場ができることの意義は大きい。
 考えてみれば、放射性物質を故意に、人類共有の資産である海に流すという行為は、法律以前の道徳性の欠如である。日本のみならず、海外でも多くの人が反対していることには道理がある。そうした、当たり前のことを、裁判を通じて世の中に訴えていきたい。
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