[2023_10_20_01]原発処理水の安全基準 政府の明確な欺瞞 「規制(放出、環境)基準」と呼ぶのが正確で、安全基準と誤認してはならない 政治家や官僚は、意図的に誤りを招く言葉遣いをして、国民を思いのままに動かそうとしている 池内了(総合研究大学院大名誉教授)(東京新聞2023年10月20日)
 
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原発処理水の安全基準 政府の明確な欺瞞 「規制(放出、環境)基準」と呼ぶのが正確で、安全基準と誤認してはならない 政治家や官僚は、意図的に誤りを招く言葉遣いをして、国民を思いのままに動かそうとしている 池内了(総合研究大学院大名誉教授)

 ◎ 過酷事故を起こした福島第一原発からの「汚染処理水」の海洋放出問題において、それを批判する私に対して、こんな非難の言葉が降りかかってきた。
 「科学的に定めた安全基準を満たしているのだから問題はない。科学者のくせに、科学を裏切っている」と。交流サイト(SNS)においても、「処理水の海洋放出に反対する者は科学的ではない」との言辞があふれている。
 しかし、政府の言う「安全基準」には明確な欺瞞がある。また科学者は現代科学の不十分さをよく知るがゆえに、 安易に「科学的」という言葉を使わない。そこで、「安全基準」と「科学的」という言葉を吟味してみよう。
 政府は、トリチウムを含んだ水は海水で希釈していて「安全基準」を満たしていると強調している。
 しかし、これは言葉のトリックである。

 ◎ ICRP(国際放射線防護委員会)は、放射性物質はどんなに微量であっても、その量に比例した危険があるという「しきい値なし直線仮説」を採用している。
 安全性優先原則に立った放射線防護の考え方で、この立場ではこれ以下なら安全という基準はない。つまり、「安全基準」はないのである。
 これを忠実に守れば、放射性物質は一切環境に放出してはいけないことになるが、それは現実的ではない。というのは、いかなる物質もそれを利用する限り必ず廃棄物が生じるからだ。
 それが人々の健康に悪影響を及ぼしたり、環境を汚染したりしないよう、ある基準値以下にして廃棄するように取り決めている。放射性物質も例外ではなく、「環境基準(あるいは濃度基準)」以下に薄めるよう暫定的に取り決めているのである。

 ◎ IAEA(国際原子力機関)が行ったレビューの包括報告書に「関連する国際安全基準に合致している」と書かれているではないか、と言われるかもしれない。
 しかし、IAEA憲章第3条A6に「健康を保護し、並びに人命及び財産に対する危険を最小にするための安全上の基準を設定」とあるように、危険を最小にするための「安全上の基準」であって、危険をゼロにする「安全基準」を定めたのではない。
 原子力を利用するためには、やむをえず被らざるを得ない危険があり、それを最小限にするための目安なのである。
 耐震基準や水質基準のような、これ以下ならなんとかガマンしようと取り決めた量でしかない。
 だから、「規制(放出、環境)基準」と呼ぶのが正確で、 安全基準と誤認してはならないのだ。

 ◎ もう一つ、「科学的証明」と言う言葉が頻繁に使われるのだが、実は科学者はあまりその言葉を使いたがらない。というのは、現在の科学の方法には必ず限界があって、科学によって100%証明できることはほとんどないということを、科学者自身がよく知っているからだ。
 人々は99%正しければ1%の不足はあっても100%正しいと見なして、「科学の勝利」を宣言しようとする。
 しかし、科学者はその1%の不足を気に病んで、「科学的証明」と言うことをむしろ恥ずかしく思うのだ。
 まだ不十分なのに、万全であるかのように言いたくないのである。

 ◎ 以上から、「汚染処理水の安全が科学的に証明されている」との、一般に流布する言説がいかに危ういものであるか、おわかりいただけるだろう。
 政治家や官僚は、意図的に誤りを招く言葉遣いをして、国民を思いのままに動かそうとしているのである。
 私たちは、言葉の真の意味をつかんで、だまされないようよくよく注意しなければならない。 (10月20日「東京新聞」夕刊3面より)
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