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[2025_01_17_04]汚染水に天下り…福島第1原発を建設した責任者を直撃、「諸問題の根っこ」が見えた 「疑おう」精神で(東京新聞2025年1月17日) | ![]() |
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参照元
14:00 〈福島第1原発事故を見つめた14年〉(3) 前回コラムで、特に原発報道では「いったん全てを疑おう」という基本的なスタンスについて書きました。じゃあ疑ってみたらどうだったのか? 実際に取り組み、ネタの大小より印象深かった記事から振り返ってみます。 ◆崖を削り、津波リスクを高めた理由 東京電力福島第1原発の許可申請書類をパラパラめくっていたとき、1枚の図面に目がとまりました。高台を大きく削って建屋を設置する断面図でした。書類を読み進めると、建設地はもともと約35メートルの切り立った崖が続く土地で、過酷事故を起こした1〜4号機は、崖を25メートルも削って海抜10メートルまで下げた地点に建てられたものと分かりました。 福島第1原発事故から2カ月余りたった2011年5月5日の東京新聞1面 後に15メートルを超える大津波に襲われた原発。なぜわざわざリスクを高めるようなことをしたのか、建設当時の責任者(現在は故人)を割り出し、都内の自宅を訪ねました。「知ってるよな。ターンキー方式といって1号機(私が生まれた翌年の1967年に着工)は米国メーカーの言う通りに造るしかなかった。向こうは川沿いの低い土地に建ててるから、高い場所に建てると言ったら、(冷却用の)海水ポンプやら荷揚げ施設やら仕様変更がたくさん出る。いくら吹っ掛けられるか分からないじゃないか。それに上の地盤は軟弱で、削らないと原発の重さには耐えられなかったんだよ」やや責め口調で質問した私に、責任者は率直にこう語りました。 ◆「電源盤だけでも上げていれば…」率直に語った責任者 記者の目を見てまっすぐ答える姿勢に、内心「立場も考え方も全く違うが、ある意味、とても信用できる人だ」と感じたのをよく覚えています。かれこれ2時間ほど話しました。切り崩した地面のあちこちで地下水が湧いて苦労した話。2011年3月の事故発生当初、何とか原発に電力を送れないか検討を重ねたものの「建屋地下の電源盤が水没しどうにもならなかった。電源盤だけでも地上に上げていれば何とかなったかも。後の祭りだが、悔しかったよ」といった話を聞かされました。どの話も腑(ふ)に落ちる内容で、原発事故後ずっと現場を苦しめ続ける汚染水問題(主な原因は地下水)、電源盤や非常用発電機など重要機器を水没リスクのある地下に置いた問題…。実は建設当初から諸問題の根っこが潜んでいたことを明確に認識させてもらいました。 ◆あふれた地下水「東電の言う通りにはならないな」 「疑おう」という話を書くはずが「信用できる」話から始まってしまい、すみません。ですが、建設時の苦労話を聞いていたからこそ、その後、特に汚染水問題での東電の話を具体的に「疑う」目が養われたと思います。2011年6月になって建屋地下を満たす大量の高濃度汚染水(同社は「たまり水」と言います)の処理が始まり、東電は「処理が始まったので、半年もすれば水位は数十センチほどになると思います」と強調しました。でも、建設当時にあちこちで地下水があふれた状況を聞いていたので、「いや、東電の言う通りにはならないな」と確信しました。そう疑った結果がこの記事です。 2011年9月20日の東京新聞1面汚染水処理の実績表を見返していて「これだけ水を抜いているのに水位が下がってこないのは絶対おかしい。きっと地下水だ」と確信しました。 そう疑った結果がこの記事です。 2011年9月20日の東京新聞1面 汚染水処理の実績表を見返していて「これだけ水を抜いているのに水位が下がってこないのは絶対おかしい。きっと地下水だ」と確信しました。 (後略) |
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KEY_WORD:汚染水_:FUKU1_: | ![]() |
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