[2025_09_30_03]「下北核半島」の今 「海と畑がなくなれば人間は生きていけない」…故熊谷あさ子さん 鎌田 慧(ルポライター)(東京新聞2025年9月30日)
 
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「下北核半島」の今 「海と畑がなくなれば人間は生きていけない」…故熊谷あさ子さん 鎌田 慧(ルポライター)

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 5月に「さようなら原発」をやっている人たち10数人と「下北核半島」をまわったが、先週末はアジア太平洋資料センターの講座受講者10数人と同じコースの旅だった。
 本州最北端の下北半島は1974年、原子力船「むつ」の失敗の後、使用済み核燃料再処理工場など「核燃料サイクル」の建設が始まったが、32年経っても完成せず、竣工延期を繰り返す。
 再処理工場でプルトニウムを取り出して、原発燃料にする、という夢は破綻しそうだ。
 その一方、原発から出る高濃度の放射性廃棄物は各地で満杯に近づいている。
 下北半島には核廃棄物の「中間貯蔵所」もいち早く建設されたばかりか、原発も3基建設され、1基は休止、2基は未完成である。
 青森県には各地で嫌がられた核施設が集中的に押しつけられた。
 1970年から取材を続けてきた。むつ市のホテルで寝ていると、お会いした今は亡き反対派の人たちが次から次と現れて眠れなかった。
 半島の最先端で計画された大間原発の炉心は、当初から数百メートル海側に移動した。
 炉心の計画地に畑があった熊谷あさ子さんが、買収を拒否し続けた。
 電源開発の社長が2代に亘って直接説得に来た。
 彼女は拒否し続けた。「海と畑がなくなれば人間は生きていけない」というのが信念だった。
 いま、娘の厚子さんと孫の奈々さんが遺志を継いでいる。
        (9月30日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)
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