[2024_09_28_01]<JCO臨界事故25年 当時の東海村長・村上さん回想>(下) 東海第2の事故を案じる 3・11後、反原発旗振り役(東京新聞2024年9月28日)
 
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<JCO臨界事故25年 当時の東海村長・村上さん回想>(下) 東海第2の事故を案じる 3・11後、反原発旗振り役

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 「JCOの臨界事故までは、村内の原子力施設が安全に稼働することを願っていた」。1999年の事故当時の茨城県・東海村長だった村上達也さん(81)にとって、25年前の惨事は原子力への見方を変える大きな契機となった。2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が決定的となり、反原子力の旗振り役に身を投じた。(竹島勇)

 保守的な住民が多い東海村にあって、村長を13年まで4期務めた。JCO事故では、同社のずさんな業務実態や国の管理能力の無さにあきれた。事故を受けて制定された原子力災害対策特別措置法などを反映させ、村原子力防災計画を改定。より実践的な防災活動ができるよう各種マニュアルも整備した。
 だが村上さんは「防災計画は作る決まりだから改定したが、現実に原子力事故が起こったら紙に書いた計画が役に立つなんて思っていなかった」という。「3・11で事前の計画が役に立ちましたか」。穏やかに取材に答えていた村上さんが、強い口調で言い放った。
 福島第1事故から1年後の12年4月、「脱原発をめざす首長会議」の設立を呼びかけ、当時から現在まで、共同代表に当たる世話人を務める。
 度重なる事故や問題を起こしながら、再び原子力政策を前に進めようとする政官業の「原子力ムラ」を、村上さんは旧日本軍のエリートたちに例える。「勝つ見込みも食料も無いまま図面で考えた作戦で突き進んだ結果、多くの若者を死なせ、国民を苦しめた姿が重なるんだよ」
 村内では現在、日本原子力発電が東海第2原発の再稼働を目指し、事故対策工事を進めている。工事はことし9月の完了予定だったが、昨年発覚した防潮堤の施工不良問題を受け、原電は完了時期を2026年12月に遅らせざるを得ない事態に追い込まれた。
 「事故対策の要となる防潮堤工事もできない原電に、原発を稼働させる能力はない。きちんとした企業の体(てい)をなしていない」。JCO事故から25年の節目にまたもや起きた「原子力への不信」を、村上さんは強く批判し、警鐘を鳴らす。
 「JCO事故と3・11のその先に、再稼働した東海第2の事故があってはならない。私たち一人一人が、原子力問題や原発について自分のこととして考えることが必要です」

 ◆JCO、廃止措置へ作業 倉庫に大量のウラン廃棄物

 99年9月に東海村の東海事業所で臨界事故を起こした核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」は、事故から半年後の2000年3月に事業許可を取り消された。03年4月には事業再開を断念。現在は旧加工設備の解体撤去が完了し、社員約40人が廃止措置に向けた作業を続ける。
 事業所の廃棄物保管倉庫には、ことし6月末時点で、ドラム缶(容量200リットル)換算で1万2091本(可燃物1094本、不燃物1万997本)のウラン廃棄物が保管されている。
 同社は臨界事故を起こした戒めとして、13年12月のホームページ(HP)開設当初から「絶対安全、絶対無事故」「基本を大切に、基本を守る」との行動指針を掲載している。事故から25年に当たり、同社に取材したところ、担当者は「何年たとうが、この行動指針が当社の見解と思ってほしい」とコメントした。
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