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[2025_07_06_01]十島村からの島外避難 第2陣の46人が鹿児島港に到着(NHK2025年7月6日) | ![]() |
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参照元
20:36 地震が続く鹿児島県十島村からの島外避難の第2陣として、悪石島と小宝島のあわせて46人が乗った村営フェリーが、6日夕方、鹿児島市の港に到着しました。 トカラ列島の悪石島や小宝島付近では、先月21日から地震活動が非常に活発になり、十島村は今月3日に悪石島で震度6弱の揺れを観測する地震が発生したことを受けて希望する住民を対象に島外避難を行うことを決め、4日には第1陣として悪石島に住む13人が鹿児島市に避難しました。 村は6日、第2陣となる島外避難を実施し、悪石島の31人と小宝島の15人のあわせて46人が、6日朝、村営のフェリーで出発し、午後5時40分ごろ、鹿児島市の鹿児島港に到着しました。 これで鹿児島市に島外避難をした人は、第1陣とあわせて59人となりました。 避難してきた人たちは、村が手配した市内のホテルや親戚宅などに滞在するということです。 避難の期間について村は、第1陣から1週間をめどとしていますが、6日は震度5強を観測する地震が相次ぎ、地震活動の状況によっては延長も検討するとしています。 一方、今も悪石島に23人、小宝島に41人の住民が残っているということで、村は派遣した職員を通じて要望を聞き取り、対策を取りたいとしています。 また、島外避難の第3陣については今後、希望があれば検討するとしています。 小宝島から避難「山海留学生」の寮の責任者は 十島村の小宝島から避難した齊藤星さんは、鹿児島港に到着したあと取材に応じました。 齊藤さんは「山海留学生」として島外から来た子どもたちが生活する寮の責任者で、寮生活をする子ども6人と妻と息子、あわせて9人で避難しました。 避難したことについて齊藤さんは「無事に到着して安心しています。昼夜を問わず体に感じる地震が多く、子どもたちを預かっているので何かあった時がとても不安でした」と話していました。 島に残っている人たちについては「けがもなく、災害もなく、早めに地震が落ち着いてくれるのを祈るばかりです」と話していました。 悪石島学園の元校長「顔が見たくて」港に駆けつける 島外避難の第2陣のフェリーが接岸した鹿児島港には、ことし春まで悪石島の学校に勤務した人の姿もありました。 鹿児島県霧島市にある市立上小川小学校の林純一校長は、ことし3月までの3年間、悪石島の義務教育学校・悪石島学園で校長を務めていました。 地震活動が活発になって以降は、子どもたちをはじめ、島の人たちの安全を心配し続けていて、林校長は、手土産のドーナツを持って港に駆けつけました。 下船の際、教えていた小学2年の男の子が駆け寄って来ると、林校長は両手で抱き寄せていました。 およそ3か月半ぶりに児童や教職員と会話ができたということで、それぞれ疲れがたまり、中には、夜は家で寝るのが怖いため、車の中で寝ていたと話す教員もいたということです。 林校長は「とにかく皆さんの顔が見たくて来ました。子どもを抱き締めたときは胸がいっぱいで、一緒に過ごせた時間がよみがえりました。まずは、ゆっくり休んでほしいですし、島に残っている皆さんの安全、そして、早く地震が収まってくれることを願っています」と話していました。 子どもの避難状況は 悪石島で第2陣として6日、島外に避難したのは31人で、このうち6人が悪石島学園の児童です。 これで学園のすべての児童・生徒14人が島からの避難を完了し、校長と教頭を除く11人の教職員も鹿児島市に避難しているということです。 また小宝島では小宝島学園の児童・生徒15人のうち8人と教員1人が6日のフェリーで避難しました。 村によりますといずれの学校でも7日以降、避難した子どもたち向けにはオンラインで授業を行うことにしていて、準備ができしだい始めたいとしています。 非常食や飲み物を送る予定 十島村は悪石島の住民に向けて、今後の備えとして7日、鹿児島港を出発する村営のフェリーでパンやゼリーといった非常食や熱中症対策の飲み物を送ることにしています。 |
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KEY_WORD:トカラ列島近海_地震頻発_: | ![]() |
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