[2024_02_10_20]2024能登半島地震の実態_M1面の標高(m)_山崎久隆_P60(たんぽぽ2024年2月10日)
 
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2024能登半島地震の実態_M1面の標高(m)_山崎久隆_P60

 14:60
[ 動画先頭:1:23:54〜 ]
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 どのくらい上がったのかということを、今度は記録で見てみましょう。志賀町の富来港、過去の高いところを、みると、17メートルぐらい、次は14メートルぐらい、その次11メートル台、その次が9メートル台、要は4段階の隆起の跡が残っている。
 観光地で有名な巌門(がんもん)、ここもたくさんの離水ベンチがありますよね。9か所あります。
 巌門というのは、巨大な岩が海にせりだしているような巌門洞窟があって、沖合に大きな島がある。巌門3.8メートルと書いてあります。志賀町の志賀原発にそんなに遠くないところです。
 それからこの辺見ていただくと、港があった赤住の標高なんか2.4、2.2メートル、2.1メートル、2.0メートル、1.7メートル。これだけ、隆起した跡が残っているということです。
 赤住港でもそうですし、これは赤住港と巌門の間に原発があるわけです。志賀原発の目の前の岩もそのくらいの隆起はあったことになります。志賀原発地震も離水ベンチの上に建っている。ただ11メートルあるといって喜んではいけません。11メートルなんでできたんですかといえば、何回かの隆起の挙句に11メートルになっている。
 そういう風に考えたらその11メートルに立っている原発が、次の地震で海抜何メートルになるのか、その間に敷地内の配管やあるいはケーブルそれから取水口が破壊されない保証はどこにあるのか。ということを問いただしなければいけないということです。


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