[2023_09_08_10]関東大震災から100年 警戒心 喪失するな 「新たなる関東大震災」に的確に対処し犠牲者を減らすことができるか 池内了(総合研究大学院大名誉教授)(東京新聞2023年9月8日)
 
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関東大震災から100年 警戒心 喪失するな 「新たなる関東大震災」に的確に対処し犠牲者を減らすことができるか 池内了(総合研究大学院大名誉教授)

 1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾の深さ23キロを震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。その結果、東京と神奈川を中心として死者・行方不明者約10万5000人、倒壊家屋約11万棟、焼失建物約21万棟と莫大な被害を及ぼした。さらに、緊急勅令によって戒厳令規定を準用する治安対策が取られたが、その後の混乱のどさくさに紛れて何千人もの朝鮮人が虐殺された。
 この関東大震災が大正デモクラシーから一気にファシズムへと大きく転換させるきっかけとなったのだが、今年で100年になる。
 北米プレートとフィリピン海プレートの境目にある相模トラフ(海底の比較的浅い溝)では、約70年間隔で小田原地震が繰り返されてきた(石橋克彦著 『大地動乱の時代』岩波新書)。
 ここはいわば地震の巣であり、近いうちに関東大地震が発生する可能性が非常に高い。
 さて、現代の私たちはやがて来たる「新たなる関東大震災」に的確に対処し、犠牲者を少しでも減らすことができるであろうか。はたまた大混乱に乗じて緊急事態条項を含む憲法「改正」へとなだれ込むことになりかねないのか、しっかり腹をくくって対処しなければならない。
 100年前と現在が決定的に異なることがいくつもある。東京・横浜を合わせて膨大な人口を抱え、都会がコンクリートジャングルになり、鉄道や地下鉄や高速道路が縦横に走り、地下街の利用が格段に進み、クルマによる人間と物資の流通が当たり前になったことなどである。木造建築物が主の火事に弱かった時代と比べれば耐火力は増しただろうが、異常な人口集中が都市の脆弱性を大きくしていることは間違いない。交通機関が一斉に休止して住民は身動きできず、物流が途絶えて食料が欠乏し、電気やガスや水道の供給が止まって高層マンションでは暮らせず、ごみの収集が途絶えて悪臭が漂い不衛生極まる町となるだろう。そのような中で難民と化した人々がパニックにならないという保証はない。
 28年前の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)のときはマグニチュードが7.3の直下型地震で、被害は阪神・淡路に集中し、倒壊した建物で圧死した人などが6000人を超えた。全国から多数のボランティアが駆けつけ、排外主義的な動きは一切起こらなかった。
 さてSNS(交流サイト)が大きく発達した現在において、人々の結びつきはどのように変貌したのだろうか。
 SNSはアラブの春を招き寄せたように人々の団結を築き上げる上で大きな力を発揮したが、その後の権力者の逆襲でSNSが住民の分断を加速させることになった。今やヘイトスピーチや差別的言辞が飛び交う場でもある。
 また、ウクライナ戦争を見守る中で特定の国を敵視する雰囲気が強まり、軍事力を拡充して国を守るという意識が高じていることが、排外主義的な行動を誘発しないか心配になる。
 そして何より懸念されるのは、人々が災害への警戒心を喪失しているのではないか、ということだ。福島の原発事故を経験して危険な放射能を大量に内蔵する原発には極力頼らないとの方針を政府も国民も堅持していたはずであったが、グリーントランスフォーメーションと称する原発回帰への急転回を簡単にのんでしまったことが一例である。
 人々は天災健忘症に陥って安穏な日常が続くと思い、来たるべき関東大震災への想像力を失っているのだ。
 さて、壊滅的災害に当面して慌ててファシズムを呼び込むのではないか、そんな最悪の事態を強く懸念している。
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