[2023_08_24_18]原発処理水の「海洋放出」強行で、漁業者は窮地に 中国が輸入規制措置を強化、風評被害対策は力不足か 岡田広行(東洋経済2023年8月24日)
 
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原発処理水の「海洋放出」強行で、漁業者は窮地に 中国が輸入規制措置を強化、風評被害対策は力不足か 岡田広行

 2023/08/24 5:20
 政府は8月22日、関係閣僚会議を開催し、トリチウム(三重水素)などの放射性物質が含まれる原発処理水を海洋に放出することを決定した。漁業関係者などが反対する中、廃炉推進のうえで不可欠な措置だとして東京電力ホールディングスが8月24日に放出を開始する。
 東電の福島第一原発は、汚染水への対応に翻弄されてきた。原子炉格納容器内に溶け落ちた核燃料を冷やすための注水に加え、原子炉建屋内に流れ込んだ地下水と混ざり合って、膨大な量の放射性物質を含んだ汚染水が発生。「多核種除去設備」(通称ALPS)などを用いてセシウムやストロンチウムなどの放射性物質を除去する作業が進められてきた。
 だが、トリチウムは取り除くことができず、約1000基のタンクに貯め続けている。約134万トンに上る、この処理水およびセシウムやヨウ素などの核種を取り切れていない「処理途上水」には、原発事故前の年間放出量の約400年分に相当する約860兆ベクレル(2020年2月時点)のトリチウムが含まれている。

 安全性の確保や風評被害防止が焦点

 政府は、処理水をタンクに貯め続けることは「廃炉作業の支障になりかねない」とし、2021年4月に海洋放出に関する基本方針を決定。東電は放出に必要な設備の建設を進め、今年6月に完成させた。
 他方、2015年に当時の東電の廣瀬直己社長が「関係者の理解なくして処理水のいかなる処分も行わず、タンクに貯め続ける」と福島県漁業協同組合連合会に約束する文書を提出していたことから、安全の確保や風評被害防止が担保できるかが、放出実行の判断に当たっての焦点になっていた。
 これらのうち、前者の安全性について、政府は国際原子力機関(IAEA)に評価を要請。今年7月に公表されたIAEAの包括報告書では「国際的な安全基準に合致し、人や環境への影響は無視できるほど小さい」という見解が示された。
 一方、「安心」の課題については、風評被害防止対策の実効性が不透明なまま、見切り発車となった。
 8月21日に岸田文雄首相と面談した全国漁業協同組合連合会の坂本雅信会長は「処理水の海洋放出に反対であることに、いささかも変わりはない」と発言。会談終了後、記者団の質問に、国と東電による一連の対策により安全性への理解は進みつつあるとしつつも、「(2015年の廣瀬氏の)約束は破られていないが果たされてもいない」との見解を明らかにした。
 政府は「一定の理解が得られた」として関係閣僚会議で海洋放出を正式決定したが、不信感を抱く漁業・水産業関係者は少なくない。福島県相馬市の水産加工会社社長は「われわれが何を言っても無駄。国や東電は聞く耳を持っていない」と憤りを隠さない。
 処理水放出前にもかかわらず、被害はすでに発生し始めている。
 宮城県女川町大石原浜でホタテ養殖を営む木村義秋さん(71歳)は、漁期が始まって1カ月が過ぎた7月に入り、販売価格の下落などの異変を感じるようになった。
 「6月4日からの1キログラム530円が、7月16日には450円へとすとんと落ちた。その後も8月2日には420円、8月20日には400円と値下がりしている。昨年とは逆のパターンだ。7月に1日に1.3トンあった販売量も、8月に入ると800キロ、最近では600キロに減っている」(木村さん)
 「このままでは10月末に漁期が終わっても売れ残りが発生し、翌年の種付けも難しくなる。将来もやっていけるか不安だ」と木村さんは頭を抱える。

 中国の輸入制限措置が養殖業者に打撃

 木村さんの売り先はすべて国内向けだが、「中国が事実上の輸入禁止に踏み切ったことがきっかけのようだ。輸出先を失ったホタテが国内市場に流入している」と木村さんは考えている。
 7月7日、中国税関は日本産輸入食品の放射性物質の検査を大幅に厳格化した。日本貿易振興機構(ジェトロ)大連事務所によれば、中国税関は従来の福島県を含む10都県からの輸入禁止措置に加え、そのほかの日本からの輸入食品、特に水産品については、必要書類の確認を厳格に行うとともに、100%検査を実施するとした。
 農林水産省の担当者によれば、「鮮魚について従来は1日くらいで通関できていたものが、(放射性物質の厳格な検査を理由として)2週間、4週間も留め置かれる事態が起きている」。その結果、中国への輸出がストップし、レストランやスーパーでは日本産の生鮮食品が姿を消している。
 香港政府も7月12日、「食品の安全と公衆衛生を確保する観点から、予防原則に基づき、放出を開始した場合、福島県のみならず、千葉県、茨城県、宮城県、新潟県、東京都など10都県の水産物の輸入を禁止する」と発表した。その理由として香港政府は「汚染水の浄化システムが継続的かつ効果的に稼働できる保証はないとの見解に達した」ことを挙げている。
 水産物の輸出で中国や香港はこれまで「最大の得意先」だった。2022年の日本の水産物の輸出額3873億円のうち、中国、香港はそれぞれ871億円、755億円と1、2位を占めている。しかもここ数年は、日本食のブームもあり、大きく輸出額を伸ばしてきた。
 ところが8月18日発表の中国の税関当局の統計によれば、日本からの7月の水産物の輸入は前年の同じ月と比べて約3割も減少。生ホタテ類は98%も落ち込んでいる。北海道や青森県など、これまで原発事故の影響がほとんどなかった産地にも、実質的な輸入禁止措置の影響が及んでいる。
 中国政府は処理水を「核汚染水」と呼ぶ。処理水放出の決定を受けて中国外務省の報道官は8月22日、「日本政府は核汚染のリスクをあからさまに全世界に転嫁し、全人類の長期的な福祉よりも自国の利益を優先している。中国は海洋環境、食品の安全、公衆衛生を守るために必要な措置を取る」と述べた。中国は、今回の処理水放出問題を外交カードの1つとして使っている。

 処理水放出の本当のコストはいくらか

 日本政府が設置した専門家によるタスクフォースは、処理水の海洋放出に必要なコストは34億円で済み、水蒸気放出や地下埋設といった代替策と比べて著しく安いという試算結果を含む報告書を2016年に発表した。しかしその後、希釈設備や海底トンネルなどの工事費がかさみ、モニタリングコストを含めてこれまでに要した費用は約590億円に膨らんでいる。
 ほかに、風評被害対策や全国の漁業者支援の基金として政府は各300億円、500億円の基金を用意している。さらに今後、中国などの圧力が強まり、輸入禁止措置が長期化した場合、風評被害対策や賠償支払いにより、処理水放出に伴うコストのさらなる膨張は避けられない。輸入禁止などに伴う被害が日本全体に及んだ場合、その被害を正確に判定して救済措置につなげることも容易ではない。漁業者の危機は一段と深まる。
 東電は処理水放出に伴う賠償対応のために270人を配置するとの方針を発表した。政府は300億円の風評被害対策の基金を活用し、余剰となった水産物の買い上げなどを必要に応じて実施する。
 そうした対策により、危機を回避することは可能なのか。政府や東電は事態を正確に把握し、漁業者がなりわいを継続できるよう、責任を果たす必要がある。
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