[2023_05_07_01]【珠洲地震】惨状「負けとられん」輪島より被害「局地的」(北国新聞2023年5月7日)
 
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【珠洲地震】惨状「負けとられん」輪島より被害「局地的」

 
  ●能登半島地震経験の本社記者ルポ

 無残に折れた神社の鳥居、屋根を覆うブルーシート、家屋に貼られた「危険」の赤紙。1995年の阪神淡路大震災の発生直後に現地取材に入り、2007年の能登半島地震は輪島総局で経験したが、3度目の被災地でも悪夢のような光景が広がっていた。ただ、震度6強の揺れが襲った珠洲市には、惨状に困惑しながらも必死に前を向き「負けとられん」と踏ん張る住民たちの姿があった。(河北地区代表、元輪島総局長・田中英男)

 6日、正院町は住宅の応急危険度判定の真っ最中だった。他市町職員の応援も加わり、立ち入りが「危険」と伝える赤紙や「要注意」の黄色い紙があちこちに貼られていた。
 家屋倒壊が広域にわたった能登半島地震に比べ、今回の被害は正院町を中心に局地的にとどまる印象だ。ただ、住民一人一人の被害の大きさは同じ。屋内に入ることができる民家では、家人が疲れを振り払うように慌ただしく倒れた家具などの片付けに励んでいた。
 1階部分が押しつぶされた住宅がはみ出し、道路が片側通行になった宝立町鵜飼。ひしゃげた住宅に向かって愛犬とみられる名前を叫ぶ人がいた。さっきまで鳴き声が聞こえたのに。切ない光景だった。

  ●「ひどい黄砂のよう」

 鵜飼にある浄土真宗妙(みょう)厳(ごん)寺(じ)を訪ねると、本堂の壁が崩れ、柱も折れ曲がっていた。武内亨住職(57)は5日昼の発生当時、本堂内はひどい黄砂が舞ったような状況になり、あ然としたそうだ。天井の飾りや木彫が落下して散乱したという。
 能登半島地震でも課題となったのが、神社仏閣の再建だ。住民の心のよりどころでもあるが、公的支援は難しい。武内住職は「門徒に多大な負担をかけるのもしのびない」と頭を抱えた。若い世代が故郷を離れることに拍車がかかるのではとの懸念も尽きない。「助け合って励まし合って生きていくしかない」と前を見据えた。
 正院町の須受(すず)八幡宮では、ぺしゃんこになった手水(ちょうず)舎(しゃ)や能舞台に貼られた赤紙が雨にぬれ、倒れた左右のこま犬が恨めしげに雨空をにらんでいた。
 泰恭通(はたよしみち)宮司(71)は「あまりに被害が大きくて先が見えない」と腕組みする。そんな中でも若い氏子が、棟瓦の落ちた社務所の屋根に上ってブルーシートを張ってくれた。「余震があるから本当は駄目なんやけど、もったいないことです」。災害に遭ったからこそ、代えがたい地域の絆が実感できる。16年前から変わらない光景だった。

  ●阪神で犠牲の父思う

 阪神淡路大震災での現地取材が縁で知り合った正院町の惣田亜喜夫さん(60)方も訪ねた。父の一男さん=享年(62)=は神戸の酒蔵で犠牲となった。「経験のない長い揺れで生きた心地がしなかった。父はもっと怖い思いをしたやろね」と遺影を見つめた。
 食器が割れ、窓や玄関戸の一部も開かなくなったが、「しょんぼりしとれば父も悲しむ。踏ん張るしかないんや」。既に目いっぱい頑張っている姿にかけられる言葉は思いつかないが、きっとこの危機を乗り越えられる、と願っている。
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