[2023_03_24_09]5万年後に目覚めたウイルス(島村英紀2023年3月24日)
 
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5万年後に目覚めたウイルス

 アイスランドで墓を掘り返していた科学者を見たことがある。中が負圧になるテントや、密閉箱など万全の用意を整え、永久凍土(えいきゅうとうど)に閉じ込められた遺体の死因の解明に挑んだ研究だった。研究の目的は20世紀はじめに第一次世界大戦の戦死者を大きく上回る病死者を出したスペイン風邪だった。日本でもこのウイルスは大流行し、芸術家など、多くの命を奪った。
 しかし、このアイスランドで墓を掘る研究は空振りに終わった。遺体は天然の冷凍庫である永久凍土層よりも浅いところになってしまって、遺伝学的なサンプルは得られなかったからだ。
 永久凍土は北半球の陸地の4分の1を占める面積がある。
 2016年には、ロシアのヤマル半島で永久凍土から出て来たトナカイの死骸に残っていた炭疽(たんそ)菌で少年が死亡する事件が起きた。ヤマル半島にはトナカイの遊牧をする人々が住んでいる。ほかに約100人がこの致死性の病気の疑いで入院した。75年間なかった感染症だ。さらに2300頭を超えるトナカイが炭疽症で死んだ。ヤマル半島の2016年7月の最高気温は異例の35℃に達していた。
 炭疽菌は胞子を形成する細菌なので特に強い。胞子は非常に耐性が強く植物の種子のように100年以上も生き続ける。
 凍土の微生物は一般に低温に強い。0℃でも呼吸を続け、マイナス5℃でようやく活動が停止する。けれど死ぬわけではない。温度が10℃上がるごとに活動度は倍増する。
 炭疽は生物兵器として各国の軍事機関で研究されたが、いまは生物兵器全般が禁止されている。2001年に米国でテロに使われたこともある。
 永久凍土が地球温暖化で溶けつつあることで、大昔から閉じ込められていた存在が解き放たれようとしている。永久凍土に潜む危険なウイルスや病原菌を呼び覚ます可能性が高くなっている。
 なかには感染防止の備えがないものや,人間が免疫を持っていない病原体があるかもしれない、未知のウイルスや病原菌の中には命に関わるような危険なウイルスや細菌も存在する可能性がある。その予測が、いま現実になっている。
 このたびヨーロッパの研究チームが、永久凍土に閉じ込められていた5万年前のウイルスを復活させることに成功した。またロシアの疫学研究所ではマンモスの死骸から未知のウイルスを発見している。
 気温が現在よりもわずかに上がっただけで、永久凍土の融解範囲は大きく拡がる。しかも高緯度地域に熱波が生じる回数も増えている。地球温暖化で永久凍土が溶け、その他の病原体がヤマル半島と同じように露出することが心配されているのである。
 温暖化が進めば進むほど、未知のウイルスなど病原体に感染するリスクが高まっていくと懸念されるのだ。
 研究者が氷の中の古代ウイルスを復活させたのは、将来の世界的な流行に備えるためだった。
 ヨーロッパやロシアで行われているのは恐ろしい研究だが、将来の人類のためには必要な研究であろう。
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