[2022_09_07_19]樫田準一郎(1931〜2022年)石川県珠洲市 珠洲原発に反対した教育者(中日新聞2022年9月7日)
 
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樫田準一郎(1931〜2022年)石川県珠洲市 珠洲原発に反対した教育者

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人柄慕われ信念貫く
 1970年代に提唱され、2003年に凍結され事実上なくなった石川県珠洲市の原発建設計画。教育者の樫田準一郎は、厚い人望から反対派に推され二回市長選に挑んだ。選挙に勝つことはなかったが、反対派、賛成派を問わず今でも地元で「樫田先生」と慕う人は多い。(上井啓太郎)

 51年、当時の若山村立大坊小学校で教員生活を始めた。次の飯田小以降は組合活動に励み、休日の宿直廃止など教員の待遇改善を訴えて度々ストライキにも参加した。長男の誠(63)は「(市教委などが)家に押しかけることがあったら関連の文書を燃やすように言われた」と当時の緊迫した空気を証言する。
 蛸島小には特に長く、79〜86年の8年間勤めた。2001年に記した自伝では、同小赴任当初「教組に対する反感が異常に強い」と不安があったことを振り返っている。それでも保護者との「ふだん着で語る会」を始めたり、学童相撲大会を企画したりする中で、蛸島地区の有志が異動させないよう申し入れるほど信頼関係を築いた。
 定年後の92年秋、翌年4月の市長選で原発推進を掲げ三選を目指した当時の林幹人市長への対抗馬として、原発反対派から立候補を打診された。出馬意向が明るみに出ると親戚からやめるよう説得があったが、反原発派の中核だった円龍寺(同市高屋町)住職、塚本真如(まこと)(77)の強い訴えなどもあり出馬を決意。93年2月に会見に臨んだ。
 会見では「珠洲に残って」と伝えてきた教え子に、退職後の同窓会で今後について聞かれ「息子や娘のいる小松か金沢へ行こうと思っている」と話したところ「先生それはひきょうや」と言われたことを紹介し、「それでこうして珠洲にいます」とふるさとへの思いを語った。選挙対策本部にいた元中学教師の砂山信一(73)は「誠実な人だと、聞いていて涙が出た」と懐かしむ。
 約1000票差での落選。しかし、この選挙は不在者投票などの不正が96年5月に最高裁で認定され、同年7月再選挙。この選挙にも出たが、貝蔵治候補に約1800票差で敗れた。砂山は「命を懸けて立って活動をつないでくれたことで、原発が立たなかったと思う」と力を込める。
 推進派だった市議の森井洋光(73)は「過疎が激しい中、自然だけでは人は増えない。原発は今でも必要だったと思っている」としつつも、「先生としては尊敬していた。(反原発の)組織だけならあんなに票はとれなかったはず。教え子たちの支持も多かったのだろう」と語る。
 葬儀では笑みを浮かべピースした遺影が使われ、多くの弔問客を和ませた。葬儀の導師を務めた塚本は振り返る。「信念を曲げない、筋の通った人だった」(敬称略)

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 次回は、市民の困り事にきめ細かく対応し、信頼を集めた元石川県加賀市議の吉村秀盛(1923〜2007年)を紹介します。

 【プロフィール】かしだ・じゅんいちろう 1931年、現在の北朝鮮・羅南に生まれ、2歳で日本へ。51年に金沢大教育学部を卒業して教員となり、直小学校の校長を最後に退職した。退職後は区長や「自然を守る会」の代表も務めた。今年6月12日に91歳で死去。

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