[2022_11_15_01]北海道沖 超巨大地震 アイヌ口承 謎解きの鍵 17世紀の発生時期推定(東奥日報2022年11月15日)
 過去の地震の実態を地域に残る伝承から明らかにする取り組みが進んでいる。例えば北海道・東北沖の千島海溝や日本海溝で繰り返し発生したとされる巨大地震。江戸初期の17世紀には、北海道東部を中心に甚大な被害をもたらしたマグニチュード(M)9級の超巨大地震が起きたと考えられているが、歴史記録が乏しく発生時期などの詳細は分かっていない。謎を解くヒントが北海道の先住民族アイヌの口承(口伝え)にあるという。
 「その昔、この広い北海道の大地を全てのみ込んでしまうような津波が襲いました。多くの人々が津波にのまれ、その命を失いました」。現在の北海道白老町にあったアイヌの集落「「白老コタン」にこんな口承がある。
 巨大津波が実際に存在したことは、北海道太平洋沿岸の広い範囲で見つかった津波堆積物によって確かめられている。波に運ばれた砂などが、沿岸から4キロ内陸の地層にも残っていた。崖の高さ18メートル付近で痕跡が発見された場所もある。
 巨大津波の発生時期は17世紀前半と考えられ、この津波を引き起こした地震は「超巨大地震(17世紀型)」と呼ばれる。政府の地震調査委員会は地震の規模や一定期間内の発生確率を予測する長期評価において、この地震が震源断層のずれの大きさから計算するモーメントマグニチュード(MW)で8.8程度以上だったと推定している。
 発生から約400年が経過し、再びいつ発生してもおかしくないが、同じM9級の超巨大地震が想定される南海トラフと比べると、発生年代や津波を起こした海域はよく分かっていない。19世紀以前の地震・津波の記録が、この地域には極めて少ないためだ。
 そこで注目されるのがアイヌの口承。明治期から本格的な聞き取りが進められてきた。口承の文献調査を進めた新潟大の高清水康博准教授(地質学)によると、アイヌは文字を持たなかったが、口伝えによる神話や伝説を多く残し、地名などにも災害の痕跡が刻まれている。津波にまつわる話は太平洋側に多く残されており、津波という現象を認識し後世に伝えていたことが分かるという。
 アイヌは目然現象を神に見立てて「カムイ」と呼ぶ。国立アイヌ民族博物館(白老町)のシン・ウォンジさんによると、白老アイヌは津波を海の悪神が人間世界に危害を加えるものだと考えた。1900年代にも津波よけの儀式は行われ、被災の経験が儀式の形で残ったという。
 白老コタンの口承には続きがある。船で難を逃れた日高地方のアイヌ数人が太平洋の海岸線に平地を見つけて移住した。それが白老コタンの始まりという物語だ。シンさんはここに注目した。
 17世紀前半の巨大津波の候補は、1611年の慶長三陸津波、40年の駒ヶ岳噴火に伴う津波、歴史記録にない未知の巨大地震による津波の三つ。しかし口承通りなら、巨大津波は20年の集落成立前の出来事だったはず。慶長三陸津波が有力で、超巨大地震(17世紀型)の発生は11年だった可能性が浮上する。
 シンさんは「過去の災害履歴を明らかにすれば防災につながる重要な情報が得られる。口承が巨大津波を明らかにするヒントになるかもしれない」と話している。
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