[2022_10_29_02]「原発を並べて自衛戦争はできない」 執筆から15年 小倉士郎(元原発技術者・賛助会員)(たんぽぽ2022年10月29日)
 
参照元
「原発を並べて自衛戦争はできない」 執筆から15年 小倉士郎(元原発技術者・賛助会員)

 
◎ウクライナ戦争と原発
 今年の2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻し、「ウクライナ戦争」が始まると間もなくチェルノブイリ原発がロシア軍に攻撃され占拠されたという衝撃的なニュースが流れた。
 これは原発が戦争という環境に曝された歴史上初めての出来事だ。
 大量の放射性物質を溜め込んだ原発が破壊されたら、破局的な被害が生じるから、固唾を飲んで見守ったが、幸いロシア軍は場所を占拠しただけで、原発の破壊はせず、管理はウクライナの運転員に任せ、間もなく作戦変更により撤退していった。
 どういう経緯かは不明だが、原発が破壊されなかったのは幸運だった。使用済燃料貯蔵設備をミサイルが直撃していたら、大量の放射能が環境に放出されて、ウクライナはもちろん北半球諸国にも大被害を与えていたはずだ。

◎恐る恐る書いた「原発を並べても自衛戦争はできない」
 2007年に季刊誌「リプレーザ」Vol.3夏号に、同誌の編集者の一人で小学・中学・高校で一緒だった友人Nから「原発について何か書けよ」と言われて私が投稿したのが「原発を並べて自衛戦争はできない」という小論文だった。
 私が原発メーカーに35年勤め、2002年3月末に定年退職してから5年経った時に執筆の誘いがあったわけだ。厳しく、且つ、被ばくの危険性がある仕事から解放されて、原発とはかかわりあいのない生活に慣れかけていた。
 私が書くとすれば原発の危険性を示して、全ての原発を即時廃炉にすべしという内容にならざるを得ない。
 そんな内容の文章を公に発表するのは、利権の魂である原子力産業に「水を掛ける」ことで、どんな危険が身に及ぶかわからない。そこで執筆を即断った。
 しかし、原発の設計、建設、保守点検、トラブル対応の体験を通じて私が知りえた原発の様々な弱点や危険性について、原子力産業界の外にいる国民が知ることはほとんど不可能であることを考えると、自分の知り得たことを書かずにあの世へ行ってしまって良いのか?一晩の内に考え直して、友人Nに「筆名でなら書いても良い」と連絡し、「山田太郎」という筆名で書くことになった。
 最初は技術者として知り得た原発の危険性を一般国民に解説することを目標としたが、書き始めると原発の様々な弱点と危険性、チェルノブイリ原発の破滅的事故、中東の熾烈なゲリラ戦などが心の中で溶け合って、小論文の柱が自然に「原発と戦争との密接な関係」に落ち着いた。
 そして、題目は「原発を並べて自衛戦争はできない」となり、次のような結論で書き終えた。

A.原発に対する武力攻撃には、軍事力などでは護れないこと。
したがって、日本の海岸に並んだ原発は、仮想敵(国)が引き金を握った核兵器であること。

B.ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、再び人が住めるように戻る可能性が無いこと。

 この小論文を投稿した4年後の2011年3月11日、東日本大震災が起き、地震とそれに伴う大津波により、東京電力福島第一原発が「3.11フクシマ」と呼ばれる過酷事故が起きてしまった。
 同事故により放出された放射性物質は福島県を中心に、北は北海道、南は関東、中部地方まで広がり、事故発生から11年余りが経つ今も事故収束の目途が立たない。
 事故が起きた原因は違えど、武力攻撃を受けても同じような事故が起きるのであり、はからずも「3.11フクシマ」は小論文の結論Bを実証してしまった。

◎これからどうするか?
 「原発を並べて自衛戦争はできない」というタイトルが日本の常識になれば、自衛隊の保有も米軍の駐留も不要になり、憲法9条の文言をそのまま実践すれば良いことになる。そう考えて、「リプレーザ」誌から抜き刷りした小冊子を今までに5万6千部を印刷して機会あるごとに普及に努めてきた。
 しかし、ウクライナ戦争勃発後の日本の政界、言論界の反応は「軍備を倍増すべき」が主流となっている。
 これまでの私の宣伝力が足りなかったことを思い知らされている。
 しかも、大手マスメディア各社の論調は政権へ忖度か「憲法9条厳守」というものはほとんど無い。
 6年前から始めた私流の「一人デモ」をさらに宣伝力に工夫を加えて続けようと決意している。(了)
(2022年10月1日『奔流』第30号、発行:千曲川・信濃川復権の会 より了承を得て転載)

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