[2022_10_28_10]南海トラフ地震史上最大の津波(夕刊フジ2022年10月28日)
 
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南海トラフ地震史上最大の津波

 宝永地震のものよりも大きな津波が、日本人が知らない過去に紀伊半島を襲っていたことが分かった。
 宝永地震は1707年、マグニチュード(M)8.6で、日本人が知っている南海トラフ地震の「先祖」の中でも最大のものだと思われてきた。
 1944年の昭和東南海地震は南海トラフの東側、1946年の昭和南海地震は西側でそれぞれ地震が発生した。一つ前の1854年の安政地震でも南海トラフの東側で地震が発生した後、32時間後に西側で地震が発生した。
 ところが、1707年の宝永地震では南海トラフのほぼ全域にわたって地震が発生したことが知られていて、ゆえにこの地震が現在知られている最大の地震だと思われている。しかもマグマ溜まりを刺激して49日後に富士山が大噴火したことでも知られる。
 この研究では和歌山・串本町の橋杭岩周辺に散らばる巨石がどのように津波で動いたかを分析した結果、分かったものだ。
 串本町東岸にある南北に直線的に並ぶ巨岩列で知られる橋杭岩は観光名所としても知られる。そのまわりに巨石が散らばっている。
 大昔、マグマの貫入によって出来た橋杭岩の周辺には、多数の巨岩があり、巨岩も同じマグマ由来の岩石からなるので、橋杭岩から分離して周囲に移動したものだと考えられる。
 巨石は橋杭岩のまわりにある約1100個余で、長さ約0.6〜7メートル。最も重いものは85トンもあった。
 巨石が移動した時期はこの解析からは分からない。だが、宝永地震以前に大地震があり、津波の高さは4〜6メートルだったと思われる。この地震は南海トラフ地震の先祖のひとつだと考えられている。
 この巨石の動きは台風の高潮によるものではない。巨石は毎年の台風の高潮では動かないことが分かっている。
 また、この地域で観測史上最大級の潮位の上昇があった2012年の台風17号の前後でも、ほとんどの巨石は動いていなかった。空中写真を比べてみても巨岩の移動は確認できなかった。
 つまり、巨石のほとんどは、かつての大地震の津波で一回だけ動いたことが確かめられた。
 大津波は確かだろう。しかし石垣島などを襲った1771年の津波のように 海底地滑りかもしれない。
 世界各地で、地震が直接発生させるよりも大きな津波が起きたことがある。グリーンランドやニュージーランドで、M4クラスの小地震でも大きな津波が被害を生んだことがある。
 日本でも2009年に駿河湾で起きた地震(M6.5)のときは、地震断層が起こしたより倍以上も高い津波が来た。これも海底地滑りが津波を起こしたものだった。
 日本人が日本に住みついてからの歴史は、日本をめぐるプレートの歴史と比べて、はるかに浅い。まして、書き残した歴史はさらに短く、京都や奈良でも千数百年、東日本や北海道では100〜300年もないことが多い。
 このような大きな地震津波は、日本人が知らないだけで過去数千年以上にわたって繰り返し発生してきたのだろう。
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