[2022_10_11_02]JCO臨界被曝事故から23年 (上)(2回の連載) 日本の原子力史上で初めての直接被ばく犠牲者 真相を解明せず作業者に罪をかぶせた 臨界被曝事故とは何だったのか 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)(たんぽぽ2022年10月11日)
 
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JCO臨界被曝事故から23年 (上)(2回の連載) 日本の原子力史上で初めての直接被ばく犠牲者 真相を解明せず作業者に罪をかぶせた 臨界被曝事故とは何だったのか 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)

 1999年9月30日、茨城県東海村にある核燃料加工会社JCO(旧日本核燃料コンバージョン)で、原発の燃料とは性質の異なる高速炉「常陽」の核燃料用ウランを製造中に、ウラン235が臨界に達する事故を起こした。
 作業員3名が高線量被ばくし、内2名が亡くなった。
 この事故で「即発臨界」により発散された中性子線に加えて、その後15時間にもわたり「裸の原子炉」で起きた臨界継続に伴い生じた核分裂生成物が建物の換気口から外部に流出した事による二次被ばくで、周辺住民や滞在していた人、少なくても667名が被ばくしたと推定されている。
 そのうち、JCOの建物の直ぐ隣にあった会社兼自宅にいた大泉さん夫妻が被ばくにより体調を崩すなど、多くの住民も被害を受けた。
 しかしその後の大泉さんの裁判では、被害認定は国により拒否されてしまう。
 死亡した作業員に責任を負わす非道な仕打ちは、原子力が現場作業員の命を削って推進されてきた歴史そのものの姿だった。

 ◎臨界被曝事故とは何だったのか

 この事故から23年の時が流れた。
 この事故の原因の真相を隠し続けたことは、その後も原子力災害を招く一因になった。
 JCOは通常は軽水炉用燃料、濃縮度4から5%のウラン235燃料を製造していた。
 事故を起こしたのは大洗町にある動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖実験炉「常陽」(現在新規制基準適合性審査中で稼働していない)の18.8%のウランを含む燃料製造中だった。
 18.8%濃縮の粉末ウランを、硝酸溶液に融解して1リットル当たり380グラムのウランを含む溶液に加工し、それを1バッチ分のウラン2.4キロを6.5リットルの溶液にし、6ないし7バッチの量に相当する40リットルの硝酸ウラニル溶液として納品する仕事だった。
 当然ながら40リットルは均質化されていなければならず、その均質化作業が「クロスブレンディング法*」だったところ、極めて手数が多き作業であることから、全体を一つに出来る「沈殿槽」と呼ばれるステンレス製のタンクに全部を投入して製造した。
 このような高濃度のウランを含む溶液は、軽水炉用燃料に比べてはるかに臨界に達しやすく、取り扱いには厳格な臨界管理が必要だった。
 しかし発注者はそれをしておらず、JCOが独自に作成していた「裏マニュアル」で辛うじて作業をしていた経過があった。
 しかしこの時は、交代したばかりの作業員がマニュアルの存在を知らなかったため、臨界を防止できない「沈殿槽」と呼ばれる直径65センチの容器に臨界量を遙かに超えるウランを投入してしまい、事故が起きた。
          (下)につづく

(*クロスブレンディング法とは、10個のバケツから10分の1ずつ取り分けた溶液を10個のバケツに入れていけば、それぞれのバケツから10分の1ずつ一つのバケツに入るので均質化できるという作業法)
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