[2022_03_12_04]東北・ウクライナの苦悩 故郷を離れる境遇重ねる 沖縄県内の震災避難者(沖縄タイムス2022年3月12日)
 
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東北・ウクライナの苦悩 故郷を離れる境遇重ねる 沖縄県内の震災避難者

 東日本大震災から11年を迎えた11日、被災地から沖縄に避難した人など約30人が糸満市の寺に集まった。地震が発生した午後2時46分に手を合わせ、犠牲者を追悼。ロシアの侵攻を受けて故郷を追われるウクライナの人々に自らの姿を重ね、思いをはせた。(社会部・東江郁香、比嘉海人)
 福島県郡山市出身の山ア智子さん(69)は、東京電力福島第1原発事故で放射能の恐ろしさを痛感した。被災者の一人として、ロシアによるウクライナの原発攻撃に脅威を感じている。
 事故当時、テレビなどでは「直ちに健康への影響はない」という情報が横行していた。だが役所勤めの夫が測定器で自宅周辺の放射線量を測ると、高い数値が出た。
 汚染された土地では子どもが自然に触れ、外で遊ぶことができないと考え、子を持つ娘家族を優先的に沖縄に避難させた。周囲の人々の支援で、孫の学習机など生活に必要な物があっという間にそろった。「沖縄の支援に本当に感謝している」と振り返る。
 これまで除染を終えた福島の自宅と沖縄を行き来していたが、今年からは沖縄を中心に生活することを考えている。
 福島県白河市に住んでいた伊藤路子さん(74)は、原発事故より前にウクライナのチェルノブイリ原発事故の写真集を見て放射能の恐ろしさを知っていた。命より大切なものはない、と原発がない沖縄への移住を決意した。
 ロシア軍の侵略から逃げるウクライナの人々が、当時の自分と重なる。「平和に生きていくためにはどうしたら良いか、一人一人が考える必要がある」と訴える。
 「仕事も頼る人もいない真っ暗闇の中で手を差し伸べてくれたのが沖縄だった」。清水理恵さん(59)は仙台市で被災。沖縄が被災者を支援していると友人から聞き、2011年5月に避難してきた。あれから11年。震災は今も多くの人々の暮らしと心に影を落とす。「これからも、忘れてはいけないことがあると伝えていく」と力を込めた。
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