[2021_09_17_06]房総半島を襲った未知の大津波(島村英紀2021年9月17日)
 
参照元
房総半島を襲った未知の大津波

 いままで首都圏を襲ってきた房総沖の大地震の歴史は、房総半島の海岸段丘の隆起から分かっていると思われていた。海岸段丘が大地震のたびに飛び上がって土地が増えていったからである。
 大きな地震ほど段丘の面積が大きい。具体的には1923年の関東地震(マグニチュード(M)7.9)、その前は1673年の元禄関東地震(Mは推定8.2)。その前は約2900〜3000年前、約4400〜5000年前、約6200〜7000年前。地震はいずれもフィリピン海プレートが首都圏の下に潜り込むことによって起きるものだと考えられてきた。
 海岸段丘からはその間には大きな地震はなかったように読みとれる。だが繰り返し起きる海溝型地震なのに間隔が開いていたのは不思議だった。
 海岸段丘の隆起は、房総半島南西部の館山(たてやま)でも、南東部の千倉(ちくら)でも同じように見られたから、首都圏を襲ってきた房総沖の大地震に一般的なものと考えられていた。
 しかし、同じ房総半島でも付け根の東側、九十九里浜(くじゅうくりはま)ではこのような海岸段丘は見られない。
 そこで海岸近くの陸上約140カ所を掘ってみたらリストにはない大地震が見つかった。海の砂が3キロ以上内陸まで上がっているから大きな津波とそれを起こした大地震があったのに違いない。
 海の砂が上がっている地層は2つ見つかった。新しい方は江戸時代の既知の地震のものだが、古い方が約1000年前の知られていなかった津波だった。鎌倉時代から平安時代のことで、当時はこの辺に人がほとんど住んでいなかったから古文書も残っていない。
 房総半島の南部に大きな海岸段丘を残さなかったことから、津波がとくに大きかったが、地震は津波ほどは大きくはなく、陸上の隆起も限られたものだった。
 さてこの地震はどういうものだったろう。
KEY_WORD:千年前房総沖でM8級地震_:GENROKU_:KANTOUDAISHINSAI_:TSUNAMI_: