[2020_11_22_02]【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(上)原発安全...神話だった(福島民友2020年11月22日)
 
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【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(上)原発安全...神話だった

 「何かおかしいぞ」。2011(平成23)年3月11日午後2時46分、県庁にいた知事の佐藤雄平は、東の方角から地鳴りのような音が近づいてくるのを感じた。間もなく、大きな揺れが襲った。長く続く東日本大震災の災害対応の始まりだった。
 佐藤らは知事公館前に集合し、県の災害対策本部を県庁の西隣の自治会館に設置することを決めた。佐藤は双葉郡が津波の被害を受けたことを聞き、「原発は大丈夫か」と考えた。担当部長を問いただしたが、詳しい状況は分からなかった。
 間もなく「東京電力福島第1原発の(核燃料を冷やす機器の)電源が止まっている」との情報が入った。冷却ができなければ、核燃料は溶け落ちる。原発には、電気を供給するための電源車が向かっていた。佐藤が「何時までに到着すれば間に合うのか」と職員に聞くと、「午後8時なら大丈夫です」との回答だった。
 だが、午後8時になっても電源車が到着したという報告は来ない。第1原発2号機では、冷却する水が失われ核燃料がむき出しになっているとの情報が入っていたため、佐藤は午後8時50分、独自の判断で原発から半径2キロの住民に避難要請を出した。政府の最初の避難指示よりも30分早い決断だった。
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