[2020_09_28_05]双葉町の原子力災害伝承館、PR看板展示せず 「明るい未来のエネルギー」 福島県は消極姿勢(河北新報2020年9月28日)
 
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双葉町の原子力災害伝承館、PR看板展示せず 「明るい未来のエネルギー」 福島県は消極姿勢

 20日に開館した福島県の東日本大震災・原子力災害伝承館で、地元の双葉町が要望してきた「原子力PR看板」の実物展示はかなわなかった。東京電力福島第1原発との共生を目指していた町を象徴する看板は、過酷事故の教訓を伝える貴重な遺産。県は「今後議論する」と言うが、見通しは立っていない。(いわき支局・加藤健太郎、福島総局・関川洋平)
 看板は1988年に町体育館前、91年に町役場入り口に設置された。町民に公募した「原子力明るい未来のエネルギー」などの標語を掲げ、原発立地町ならではの景色となっていた。
 原発事故後の長引く避難で管理が行き届かず、町は老朽化を理由に2015年3月に完全撤去を表明。住民からの保存を求める声を受け、一つを復元可能な形での撤去に方針転換した。
 解体から4年以上が経過した看板の骨格部分は、町役場駐車場にブルーシートにくるまれて保管されている。アクリル製の標語の文字板は県博物館(会津若松市)に預けられており、現状で看板が人目に触れる機会はない。
 町は「原子力がどう推進され、この地域になぜ原発が立地したのかといった歴史的背景を伝える上で象徴的な資料」として、実物の復元・展示を県に働き掛けてきたが、館内に飾られたのは縦2.6メートル、横3.7メートルのパネル写真だった。
 津波被害とは異なり、原子力災害は衝撃の大きさを実感できる実物の資料が少ない。支柱部分を除く看板は縦2メートル、横16メートル、重さ2トン。インパクトは伝承館が収集した他の資料約24万点と比べ群を抜く。
 「何度も足を運んでもらうためにも訪れる人の関心を引きつけ、印象に残る実物があった方がいい」(伝承施設関係者)との指摘もあるが、県は「大きさ、重さの問題がある」と腰が重い。
 伝承館の具体的な展示内容は有識者による資料選定検討委員会で決まった。18年以降に計6回あった会合は全て非公開。議事録は開館後に公開する予定で、現段階で選定過程は明らかにされていない。
 標語の一つを考案した自営業大沼勇治さん(44)=茨城県古河市=は、実物の保存を求める署名活動を展開した。20日には家族を連れて伝承館を訪れ「本物には重みがあり、展示してほしかった。伝えづらいことも伝えなければならないと思う」と消極的な県の姿勢に疑問を投げ掛けた。
 伊沢史朗双葉町長は「原発の『安全神話』とも言われたが、世の中に絶対はないということが事故の教訓であり、看板の展示はその戒めでもある。これからも復元・展示を要望し続けていく」と話す。
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