[2020_08_10_02]除染土壌で農地造成 古里再生に思い寄せる(福島民報2020年8月10日)
 
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除染土壌で農地造成 古里再生に思い寄せる

 東京電力福島第一原発事故で飯舘村長泥行政区から福島市松川町に避難している農業鴫原圭子さん(58)は、夏の日差しが照り付ける自宅敷地にたたずむ。思い出の詰まったわが家は跡形もない。
 更地にソメイヨシノとカシワの木が残る。サクラの花びらを塩漬けにしたり、自家製のかしわ餅を作ったりしたな−。原発事故前の穏やかな生活が脳裏に浮かぶ。「悲しいけど、仕方がない。前を向かないと」
 全域が帰還困難区域の長泥行政区の中で、鴫原さんの自宅周辺は環境省が実施する除染土壌再生利用事業の対象地となった。二〇二〇(令和二)年度内にも除染土壌を埋め立てる農地の造成が始まる。
 鴫原さんは双葉町で生まれた。双葉農高を卒業後、町内の職場で知り合った飯舘村出身の夫良幸さん(59)と結婚した。一九八八(昭和六十三)年、長泥行政区にある良幸さんの実家に移り住み、農業に従事した。義父母と同居する二世帯住宅で長女と次女の二人を育てた。
 村南部に位置する長泥行政区は四方を山林に囲まれた自然豊かな地域だ。イワナやヤマメが取れる清流・比曽川が流れる。自宅の畑で栽培した野菜で料理を作り、裏山で採ったワラビやゼンマイなどをつまみに家族で晩酌するのが楽しみだった。「飯舘に嫁に来て良かっただろう」。亡き義父はよく口にしていた。
 穏やかな生活は原発事故で一変した。いつになったら帰れるのか、自宅はどうなってしまうのか…。先が見えない避難生活が続いた。
 二〇一六(平成二十八)年末、想像すらできなかった話を耳にした。「除染で出た土を長泥に埋め立て、農地を造成したい」。避難先の福島市で開かれた行政区の役員会で、環境省の職員が突然、除染土壌再生利用事業を提案した。「汚れた土は中間貯蔵施設に運ぶはず。地元に埋めて大丈夫なのか」。不安を抱いた。
 国と村、住民による協議は約一年にわたった。「人が住めるようになるのか」「風評は免れない」。住民から厳しい意見が相次いだ。国側は除染土壌を地元で活用する先駆けになると強調した。周辺の空間放射線量を詳細に記録し、事前に作物栽培の実証試験を行って安全性を確保すると約束した。住民が折れる形で二〇一七年十一月、事業実施が決まった。
 二〇一八年四月には長泥行政区内千八十ヘクタールのうち、自宅を含む百八十六ヘクタールが特定復興再生拠点区域(復興拠点)に認定された。村は復興拠点外と併せて避難指示を一括解除する方針案を今年五月に示し、「特殊事例」として復興に向けて歩み出した。
 農地造成を受け入れるため、大切に暮らしていた家を昨年末に解体した。壊される様子を見るのはつらく、作業が完了するまで足を運べなかった。
 「古里の再生に役立つなら」。気持ちを切り替えた。今は近所で実証栽培が行われている。除染土に覆土しない状態での生育実験も一部で始まった。長泥行政区への住民の帰還に向け、止まっていた時計の針が動きだした。
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