[2020_08_06_03]<東海第二原発 再考再稼働>(18)汚染の可能性心配、廃炉を 笠間焼作家・新井倫彦さん(73)(東京新聞2020年8月6日)
 
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<東海第二原発 再考再稼働>(18)汚染の可能性心配、廃炉を 笠間焼作家・新井倫彦さん(73)

 幼い頃に小学校で、広島や長崎の原爆投下直後の様子を記録した映画を見た。一九五四年には、米国の水爆実験によりマグロ漁師らが被ばくした第五福竜丸事件もあり、核は恐ろしいものだと感じていた。
 中学生くらいになると、「原子力の平和利用」について教えられた。核について、矛盾した両極端な面を見せられた。ただ、平和利用は「絶対に安全だ」と言われていたので、核兵器の脅威はあったが、危険視していなかった。
 東京の大学に進学した学生時代は、原発などの基礎調査として、気象観測をするアルバイトをしていた。福島県も含めて全国に行き、観測器を付けた気球を飛ばした。東海村で調査したこともあった。
 スリーマイルやチェルノブイリなどの原発事故はあったが、日本からあまりにも離れていたので、多少の不安は心の底にはあったが、それほど、危険性を感じなかった。身をもって実感したのは、東日本大震災が初めてだった。
 笠間焼の登り窯が壊れるなど、ここら辺でも地震による被害が大きかった。さらに、東京電力福島第一原発で事故が起き、放射能汚染の影響が心配になった。ガイガーカウンター(放射線測定器)で自宅周辺を測ってみたら、といの下とアルミサッシの外側の溝が高かった。アルミサッシは、窓一枚を隔てて生活空間にとても近く不安だった。
 陶芸にも影響した。他の笠間焼作家が、地元のマツを薪として使い、残った灰を測定したところ、放射性物質が検出された。私は、釉薬(ゆうやく)の材料に木灰を使っていたので、かなり神経質になった。干していた粘土も、汚染されている可能性があった。
 震災後に、愛知県でのイベントに作品を持って行った時は、放射線量を測定してから売り出さなければならなかった。地元の材料を売りにはできないと思った。それまでは、地元の土も含めて二、三種類の土を混ぜて使っていたが、滋賀県の信楽焼の土に変えた。
 そうした経験をしているので、東海村の日本原子力発電東海第二原発の再稼働は絶対にだめ。運転から四十年以上がたち、老朽化も心配されているので、廃炉にすべきだ。
 想定外の大地震があれば、福島第一原発と同じような事故になる可能性がある。笠間市の三十キロ圏に入る住民は、栃木県内に避難することになっているが、果たしてそれで十分なのか。
 福島の事故の時、広範囲に汚染が広がったことを考えれば、東海第二で事故が起きれば、自宅兼工房は三十キロ圏からわずかに外れているだけなので、危険が及ぶ。笠間市は広域避難計画を早々と策定したが、「避難経路の情報を言っておけばいい」という感じで、実効性に乏しくいいかげんな気がする。
 県議会六月定例会で、東海第二の再稼働の賛否を問う県民投票条例案が否決された。議論が尽くされておらず、住民の意見がきちんとすくい上げられていないと感じた。誰だって「原発は怖い」「放射能汚染は嫌だ」と思っているはず。どう廃炉にするかを考えるべきだ。 (聞き手・松村真一郎)
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 次回は十一月下旬に掲載予定です。 
<あらい・みちひこ> 1947年、徳島県生まれ。鹿児島県で陶芸の腕を磨いた後、作品づくりの拠点を探す中で、笠間焼の産地である笠間市に。81年に、工房「風の窯」を開き、食器や花器、茶器などを作っている。
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