[2017_09_22_05]【社説】規制委新体制 審査に“安全哲学”も(東京新聞2017年9月22日)
 
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【社説】規制委新体制 審査に“安全哲学”も

 原子力規制委員長が交代した。柏崎刈羽原発の再稼働を急ぐかのようなドタバタ劇が、規制委の信頼を損なった。更田豊志新委員長には原点に立ち戻り、国民の命を守るための規制に努めてほしい。
 原子力規制委員会の仕事には、絶対の大前提があるはずだ。
 3・11の反省と教訓によって立つこと、その過ちを繰り返してはならないということだ。
 3・11以前、規制機関の原子力安全・保安院を、原発推進のとりでである経済産業省が所管した。規制と推進の“なれ合い”が、福島の事故の遠因になったと言われている。
 その反省から、独立の規制機関が誕生したはずだった。
 原発は危険なものだから、厳重な“しばり”をかける、むしろ歯止めになるというのが、規制委の使命ではなかったか。
 3・11への反省のあかしとして、私たちが規制委に強く求めるものの一つが審査の透明性である。ところが、審査適合、即再稼働の事例が増えるに連れて、審査の過程や判断の根拠が、分かりにくくなってきた。福島の事故を起こした東京電力が再び原発を動かすことの「適格性」を巡って紆余(うよ)曲折した柏崎刈羽原発審査の迷走が、規制委に対する信頼を損なった。
 新体制でまずなすべきは、原発に不安を覚える国民の声にも耳を傾けて、信頼を回復することだ。
 電力会社は「ゼロリスクは、ありえない」という前提で原発を動かし、司法もそれを認めている。関西電力大飯原発差し止め訴訟のてんまつなどからも明らかだ。
 それでも再稼働は続く。福島最大の教訓は、すでに棚上げされたということだ。国民の多くは納得していない。
 地震大国日本では、いつ、どこでどんな強さの地震が起こるか分からない。地震の揺れが、原発の機器にどのような影響を及ぼすかもまだ明確には分かっていない。
 事故の際、風向き次第で何が起きるか分からないから、避難計画も自信を持って立てられない。科学の目だけですべてを見極められるものではない。
 規制委は、原発の安全性を技術面から審査する機関である。だが東電に求めた“安全文化”を評価するにも、それだけでは不十分。
 ドイツが哲学者などの意見も聴きながら、倫理に照らして脱原発を決断したように、規制委にも、科学以外の多様な視点から、原発運転の適格性などを判断できる機能を付与してはどうだろう。

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