[2017_04_13_01]東京五輪へアピールするためだけの「復興」(ニュースソクラ2017年4月13日)
 
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東京五輪へアピールするためだけの「復興」


被災者を置き去りにした避難指示解除

 3月11日に開かれた東日本大震災追悼式の式辞で、安倍首相が福島第1原発事故に触れなかったことが話題になった。昨年までは必ず言及していたため、多くのマスコミがその違いを指摘し、福島県の内堀知事も「違和感」を表明した。
 菅官房長官は「(復興政策の後退を表すものでは)全くない」と強調したが、これは単なる「言い忘れ」などではない。被災者の切り捨てによる「復興」の総仕上げが始まったとみるべきだ。
 首相官邸ホームページに掲載された昨年の式辞と、今年のそれを読み比べてみた。犠牲者を追悼する冒頭3段落はほとんど変わらない。だが、4段落目が明らかに違う。
 昨年は「原発事故のため住み慣れた土地に戻れない方々も数多く」と福島の避難者を気遣った。今年はそれが消え「復興は着実に進展」「インフラの復旧がほぼ終了」「住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展」「福島においても順次避難指示の解除が行われ」「復興は新たな段階に入りつつある」と、たたみかけるように前向きな言葉を連ねた。最後に「しかしながら」と続け、今なお12万人が避難生活を送っていることを渋々認めただけだ。
 「原発事故」の文言を使わなかっただけでなく、復興が終盤に入ったと言わんばかりのポジティブな内容は、やはり避難指示の解除が最大の理由だろう。
 政府は15年に策定した復興指針で、帰還困難区域を除く全避難指示域(居住制限区域・避難指示解除準備区域)を17年3月までに解除すると宣言した。
 それに沿って昨年は南相馬市、葛尾村、川内村の避難指示が解かれ、今年は3月末に飯舘村と浪江町、4月に富岡町が解除される(いずれも帰還困難区域を除く)。7市町村の帰還困難区域と双葉・大熊両町の全域は見通しが立たず重い宿題として残るが、政府は「大幅な前進」を誇りたいところだろう。
 しかし、地元にとって避難指示解除はゴールではなく、大幅なマイナスからのスタートだ。15年9月に全町避難が解除された楢葉町でも、今年3月3日までに帰還した住民は11%。南相馬市や葛尾村も1割前後だ。共同通信のまとめでは、14年以降に解除された5市町村を合わせても今年1月時点で13%にとどまっている。
 また、復興庁がまとめた関係自治体の住民意向調査(昨年度)では、解除後に地元へ「戻りたい」と答えた人は川俣町(山木屋地区)で44%、飯舘村で34%、浪江町で18%、富岡町は16%に過ぎない。
 楢葉町の場合、解除の約1年前に行った調査で住民の9・6%が「(解除されれば)すぐ戻る」、36・1%が「条件が整えば戻る」と答えていた。1年半が経過しても1割しか戻らないのは、まさに「条件が整っていない」からだ。
 戻らない(戻れない)理由はいくらでもある。除染作業はほぼ終わったものの、除染で出た土や草木を詰めた袋(容量は約1立方メートル)が750万個も農地や宅地に積まれたままになっている。受け入れ先となる中間貯蔵施設(双葉・大熊町)の用地がまだ3割程度しか取得できていないからだ。原発廃炉作業のトラブルによる2次災害の不安もぬぐえない。
 買い物、医療、教育、交通などのインフラが失われ、生活の利便性は著しく低下している。以前は原発関連企業を中心に雇用機会が比較的多かったが、廃炉・除染関連の仕事に置き換わった。前者は相当な覚悟がいるし、後者の求人は急速に縮小している。
 若手・中堅世代は避難先の都市部の便利な暮らしに慣れ、その子どもたちは避難先の学校になじんで転校をいやがる。だから、帰還するのは土地への愛着が強い高齢者ばかりだ。
 農業は厳しい風評にさらされている。過去2年、コメの全袋検査で放射性物質が基準値を超えたケースはなく、99・99%は不検出(検出限界値以下)。他の農林水産物も基準値超過は野生のキノコ、山菜、川魚類だけだ。だが、南相馬市で昨年生産されたコメの85%は消費者の口に直接入らない飼料用米。首都圏の小売店で「福島産」として売られているコメは見当たらない。業務用(外食・中食)やブレンド用に回されているからだ。
 福島県内では、避難指示区域を中心に約1万7700ヘクタールの農地が営農休止に追い込まれたが、15年度までに営農が再開されたのは約18%で、再開のペースは鈍っている。農業関係者は風評被害に強い加工用作物や花などの導入を図っているが、広大な農地はカバーしきれない。住民の避難中にイノシシやサルが人里に進出し、わがもの顔で農地や農作物を荒らすようになった。
 原発からの汚染水放出に翻ろうされ続けてきた水産業は、対象魚種は増えつつあるものの依然として試験操業の段階だ。山林の除染は手つかずで、林業の再開も見通せない。首相が強調した「生業の再生」は全くおぼつかない。
 避難指示解除は賠償や住宅支援の終了につながる。1人あたり月10万円の慰謝料は解除から1年後に打ち切られる。農林業の「休業補償」は今年から3年分を一括払いし、その後は未定。関係者の間では「事実上の打ち切りか」とささやかれている。応急仮設住宅や「みなし仮設」(借り上げ住宅)に住む人々も、避難指示が解除されれば遠からず退去を求められる。さまざまな意味で被災者は「自立」を迫られるが、その用意ができている人は少ない。
 福島以外でも復興政策の空回りが鮮明になってきた。津波被災地では、巨費を投じて造成した市街地や宅地の多くが空き地になろうとしている。復興住宅にも空室が目立ち、入居者の孤独死も出始めている。他方、居住者の減った仮設住宅の「限界集落」化も進行しており、高齢者や経済的弱者を取り巻く環境は厳しさを増す一方だ。一体、復興はどこに向かって「進展」しているのか。
 復興庁のウェブサイトにその答があった。トップページを開くと「2020年 東京オリンピック・パラリンピックに向けて」という大きな文字が躍る。これが復興の「正体」。五輪を契機に復興ぶりを世界へアピールしたいのだ。
 政府が復興拠点(まちづくりの核となる大型商業施設兼公共施設)の整備やイノベーション・コースト構想(福島原発周辺に先端産業の研究開発拠点を誘致)を推進するのもそのためだ。人の姿もまばらな街の中心部に壮麗なショーケースが築かれる。主役だったはずの被災者はその中におらず、ガラス越しに「復興」を見つめるしかない。そんな将来像がリアルさを増す、7年目の被災地である。

綿本 裕樹 (農業ジャーナリスト)

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