[2016_12_21_03]もんじゅ廃炉 「国策」で慢心、なれ合い体質の文科省と原子力機構(産経新聞2016年12月21日)
 
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もんじゅ廃炉 「国策」で慢心、なれ合い体質の文科省と原子力機構

 「夢の原子炉」といわれたもんじゅは、なぜ廃炉に追い込まれたのか。関係者は運営主体の日本原子力研究開発機構と、所管する文部科学省のあしき体質が背景にあったと指摘する。
 平成22年に原子力機構の理事長に就任し、改革に取り組んだ元原子力安全委員長の鈴木篤之氏は「機構の根深いおごり体質を改善できなかった」と話す。
 高速増殖炉の研究は日本原子力研究所(原研)で始まったが、国は昭和42年に動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を設立し移管。唯一の研究機関となった動燃は慢心し、規制当局の指導を軽んじるようになった。
 鈴木氏によると、動燃は平成7年のナトリウム漏れ事故を軽視。事故の映像を隠蔽し批判を浴びたビデオ隠しも「当然の行為」との認識だった。原研との統合で機構が発足した後も、もんじゅは旧動燃側が運営し、この体質は引き継がれた。
 国策である核燃料サイクルの中核施設は、どんなトラブルがあっても安泰との思い込みもあった。反省は乏しく、22年の再稼働後も炉内装置の落下や機器の点検漏れが続発。安全文化やガバナンス(統治)の欠如は原子力規制委員会の運営主体見直し勧告を招いた。

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